1.干し固まっていたような痴呆性老人、その豊かな内面が突然広がりだすところに感動がある。タオルの畳み方を皆に教える。あるいは餅つきで、アンコを包んでキュッと絞り切るあたりの手際のよさ。いつもムッツリしてたお婆さんが、孫の面会で別人のように穏やかな顔になる。自分の名前もよく言えなく、旦那が生きているのか死んでいるのかも分からないサダ子さんが、百人一首を上の句の五文字を与えられただけですらすら後を言えるとこ、彼女が百人一首に熱中していた少女時代までが急に匂い立ってきて、ズーンと奥行きが出てくる。子どもに会いにと風の中を歩いていくお婆さんだって、自分の子どもが幼かったころの壮年期が湧き返っているわけだ。彼女たちが生きてきた時間が「過去」から解放されて溢れ出す。時代の氾濫とでも言いましょうか。もう「痴呆性老人の宇宙」。この豊かな何層にもなった時間の渦を肯定的に捉えている。もう「痴呆性」という部分はさして関係なくなってきて、老人一般のドラマになっている(お爺さんはどうなんだろう、という疑問は湧くが)。たまたまこういう症状が出たおかげで、その宇宙が外に表われた、そこのところを作者は手際よくキャッチした。クリスマスプレゼントでチャンチャンコを一番喜んでいるところに女を見る作者も、女性であります。お正月が終わって送りにきた付き添いが、お婆さんがほかのことに熱中している間にこっそりと去っていくシーン、去った戸口からパンしてお婆さんを捉えるのが切ない。さらにもっと切ない二年後が続くんだなあ。