2.もう一年近く前になると思うが、この映画のタイトルを観たときは、「なんてダサくて面白くなさそうなタイトルだろう」と思った。
エイリアンの侵略ものだということは一目瞭然だったが、どれくらい“まとも”に作られた映画なのかととても訝しく思った。
2011年の年明け頃になってようやく映画の情報を少しずつ知り、アーロン・エッカートが主演でミシェル・ロドリゲスが出ているということが分かり、地味ながらも好感を持てるキャスティングも手伝って気になり始めた。
そして同じ頃に初めてトレーラーを観て、侵略の様を“現場目線”で切り取ったシーンの迫力に一瞬で圧倒された。
日本公開は4月1日、一転して公開日が待ち遠しい作品となっていた。
しかし、4月1日にこの映画を観ることは出来なかった。
3月11日に発生した大震災の影響を受け、大幅な公開延期が決まったからだった。
果たして「公開延期」という措置が正しいことだったのかどうかは、個人的には懐疑的に思う。
が、実際に被災地の現状を目の当たりにした人々にとっては、この映画に映し出されたロサンゼルスの壊滅した様は、様々な感情に心労を伴うものだったかもしれない。
前フリが長々しくなってしまったが、この映画において言いたいことはシンプルだ。
突如として襲いくるエイリアン、圧倒的な兵力を向こうにまわし勇敢に対峙する海兵隊。
圧倒的な兵力差があるにも関わらず、決死の覚悟で奮闘し侵略者の牙城を突き崩す。
ご都合主義の米国至上主義、アメリカ万歳!海兵隊万歳!
ベタで王道的なハリウッドのエンターテイメント……。
人によっては卑下する要素は無限にあるのだろう。ただし、この映画の在り方は、圧倒的に正しい。
あらゆる物事が理にかなってなかろうが何だろうが、わけも分からぬまま侵略者の大軍に立ち向かう兵士たちの立ち位置のみで描かれる映画世界に、絶大な興奮を覚えたということ。
それだけでこの映画の価値は揺るがないと思う。
そして、この映画のタイトルは、本当に“それ”のみしか描いていないことに対する潔い態度の表れだったということに気づいた。
P.S.“女性ソルジャー”という役柄において、ロドリゲス嬢の右に出る者はやっぱり居ないと思う。