1.敗戦から7年。
GHQによる映画検閲の廃止に伴い、原爆被害の言説に関する厳しい規制がようやく解かれ、新藤兼人監督の『原爆の子』と、本作『ひろしま』が製作公開される。
アピールの形式はそれぞれ異なるが、どちらの作品の画面にも表現の自由を束縛されてきた鬱憤を晴らさんとする作家の情熱と、「記録すること」への意思、そして犠牲者への想いとが尋常でない強度で充溢している。
それを支えたのが、当時第二の黄金期を迎えていた日本映画産業の充実したスタッフワークだ。
3分弱のシンボリックなカットで被爆の状況を表現した『原爆の子』に対し、本作で表象された被爆の図は、美術セットも衣装もメイクも、そして芝居も現在に至るまでに作られた原爆映画の中でも最も凄惨で、迫真的で、生々しいものだろう。
それだけに、戦争犯罪者に対する怒りと糾弾は直截的だ。
が、本作が指弾するのは、原爆投下者だけではない。
「何故か」当日空襲警報を出さず、新型爆弾の情報隠蔽を画策した軍上層部の棄民体質。
過去の痛みを忘れ、次なる朝鮮戦争特需へ向かおうとする世。
原爆症に対する無知。
現在からすれば、「8年しか経っていない」1953年だが、当時からすれば記憶の風化に対する危機感、切迫感が相当にあった事が映画の語りからは伺える。
硬直した作劇と台詞が貶しどころではあるが、その愚直さゆえに止むにやまれぬ思いが
伝わるのも確かだ。
原発事故一年後の現代日本とを重ねずにはおれない。