1.《ネタバレ》 ここに出てくる死刑囚とは人の命を奪ってきた者、情状酌量の余地もなく切り捨てられる者。つまり、さっさと地獄に行ってもらわねば納得出来ない人間だ。言い換えれば、死刑囚とは死刑確定者であり、その肩書通りに確実に死刑にすべき者。そんな極悪非道な人間イコール死刑囚たちにこのような時間が与えられている事に腹が立ってしょうがない。悔い改める時間など与える必要など一切ない。さっさと地獄に行ってもらわねば納得出来ない人間たちだ。従って教誨師なる者が存在する事など認めたくもないし、なんだったら『どんな命だって生きる権利がある』とかの賜るたわけな牧師相手にだって意見対立だ。そして投げ返したくなる『だったら人様のその生きる権利を強欲に奪った者の命など1日だって生かしておく必要ナイでしょが!』と死刑囚の延命制度には納得出来ないと声を大にして言っときたい。
ところがどうして、大杉漣をストーリーテラーとしたこの話意外と見てられる。対峙する死刑囚役者たちの若干の悲哀感やクセがノンフィクションドラマとしてかなり活きているので見てられる。
そして終盤迎えたクリスマスの数日後に死刑執行されるのは一体誰なのか サスベンスと化した部分にも心動かされてしまった事は事実だ。出来れば教誨師としての大杉漣、もう一度見てみたい思いするもあれ、それが不可能となった今ここに彼に対してご冥福を深く申し上げたく思います。