5.《ネタバレ》 前作「孤狼の血」は、現在の“ヌルい”娯楽映画が蔓延るこの国の映画界において、確実なカウンターパンチとなり得る“アツい”作品であったことは間違いない。
血と脂汗が入り混じって匂い立ってくるような暴力性とその熱量は、往年の大傑作「仁義なき戦い」をはじめとする東映のジャンル映画を彷彿とさせた。
昭和臭漂う血生臭い映画世界は、平成という時代の末期において、時代を越えて逆に新鮮で、センセーショナルだったと思う。
前作公開時点で決定していたこの続編に対しても期待感はひとしおだったけれど、どうなのだろう?という危惧もあった。それはやはり、前作で絶対的な主人公であり物語の中核であった“大神”の不在(死亡)によるところが大きい。
演じた役所広司の存在感の大きさもあり、あのキャラクターが不在で、果たしてこの映画世界のテンションが保持されるものだろうかという不安が拭えなかった。
だがしかし、結果的にはそういった危惧は杞憂に終わったと言っていい。
役所広司の跡を文字通り引き継いだ松坂桃李が主演俳優として気を吐き、新たな敵役として登場した鈴木亮平が圧倒的な存在感を放っていたからだ。
両者は終始敵対するキャラクターでありながらも、ストーリー展開と共に己に孕んだ狂気を相互に高め合い、最終局面で爆発させる。
そのキャラクター描写とストーリーテリングは、現実離れしていて殆どファンタジー。全くもって常軌を逸しているけれど、それをまかり通す映画的エネルギーに溢れていた。
特に鈴木亮平が演じた“上林”のキャラクター造形は凄まじく、凶悪性、残虐性を超越したその「絶対悪」ぶりは、国内映画において近年稀にみるヴィランを作り上げており、松坂桃李演じる日岡と正対するもう一人の主人公としてキャラクター性を高めていたと思う。
主人公二人の狂気と凶悪に引き寄せられるかのように、その他のキャラクターもみな悪人揃い。言うなれば“狂気乱舞”の愚かな人間模様が、本作に相応しい娯楽性を生んでいた。
その中でも特に印象的なのは、“或る夫婦”役として登場する中村梅雀と宮崎美子。中村梅雀は2時間サスペンスの「信濃のコロンボ」シリーズでの刑事役そのままの暢気な風貌で登場するが、そのイメージ操作こそがまさに確信犯的であった。
彼らが孕む真の悪と、闇。劇中、中村梅雀演じる瀬島自身の台詞に表されていた通り、「悪意」の無い「悪」こそが最も始末が悪いということ。
両目を自らの指で圧し潰すという猟奇性極まる殺人を繰り返す鈴木亮平よりも、手料理の味見をしながら“味付けに満足したかのように”微笑む宮崎美子の方が、実は一番恐ろしい。
無論、完璧な映画ではない。
この映画における最たるウィークポイントは、女性キャラがあまり魅力的ではないということだろう。
これは前作における最大のマイナス要因でもあったが、どうやらこの監督は、男性俳優に対しては突っ切った演技指導ができる反面、女優に対する演出が大人し過ぎるようだ。
この手のジャンル映画において、濡れ場や、シンプルな「裸」描写は必須だと思うのだが、それが殆ど無いというのはいただけない。
乃木坂を卒業したばかりの西野七瀬を脱がせろ!とは言わないけれど、あのような役柄である以上、もう少し踏み込んだ演出は必要不可欠だったと思う。西野自身、求められればそれに応える覚悟はあった筈だ。
どうしても初々しいヒロインに対する演出が無理ならば、かたせ梨乃御大に“一肌”脱いでもらうくらいの心意気は、監督側に見せてほしかった、と、思うのだ。