1.《ネタバレ》 「赤毛のアン」って、本当は児童文学じゃないって知っていましたか?悩める少女の成長を描いた真面目な物語なんです。じゃあ、現代日本の若い女性だとどうなるかを考えてみよう。これは、そんな試みの映画。
映画としては・・・脚本が穴だらけ。契約社員の5年ルールって、事前に知らせておいても今は大問題になるんですよね。いっぱい裁判も起きてます。期限切っての雇い止めからの一転正社員提案で、まともな会社に見せたつもりかもしれませんが・・・。はたして、この雇い止めが当たり前みたいに描いていいのかなあ。
優子は母の紹介で会社に入ったらしいので、親友のなっちは優子の紹介で時期がずれて就職したのかな?就職時期が一緒だと、二人とも雇い止め対象になっちゃうから、そう考えないとだめだよね。なっちだけ正社員登用なら、その話も出てくるだろうし。でも、短大・専門以外はずっといっしょって言ってた?あれ?そもそもなんの専門学校行ってたんだろう?
たまたまコンビニの支払中に、たまたま隣で道を聞いていた王子様に一目惚れ?それ、全然伏線なくって余りにも唐突だけど、説得力ありますか?えーと、優奈さんは王子さまと結婚前提のお付き合いで悦にいってるけど、名前の詐称がわかったらどうするつもりなんだろ?まさか、何も考えてない?王子様は3週間しかいない予定と言ってたけど、最低1週間過ぎてから花束もらって、吊すだけでドライフラワーになる長期間静岡に滞在してたの?滞在延長したのかな(ちなみに設定は静岡ですが、撮影は千葉県我孫子市です)。
優子は専門学校行ってから就職して5年近くたっているんだよね。じゃあ大学受験をするなら、専門の単位が使えるなら編入考えてもいいし、社会人受験を考えた方が自然だよね?それに、大学行ったときの生活費問題は解決したの?
などなど、他にもいっぱいこういうのがある。どうも狭い世界しか知らない若い人が、自分の周りだけみて書いた脚本のように思える。もうちょっと、ちゃんと社会的なリサーチして練った脚本を作ったらよかったのになあ・・・コロナで難しかったのかな。
まあ、いろいろ文句言いましたけど、脚本の穴を、それはそれはかわいい坂ノ上茜と芸達者な周りの役者が、演技で全てカバーしてます。藤田朋子の老け方にはびっくりしたけど。優子は社会人としてはいっぱい酷いことやってるんだけど、それに嫌味が感じられず、そんな子もいるよね、って温かく見守っちゃうくらいチャーミングです。ラスト近くの優子からお母さんへの独り語りはちょっと長過ぎたかなあと思いますが、カフェとかでのセリフ回しも結構小技が効いてます。タイトル絡めるためなんでしょうが、唐突なメビウスへの言及が、少し残念でした。優子が無限記号を知っててメビウスを知らないのは不自然ですし・・・まあ、それでも、この手の低予算邦画としては、十分及第点以上で面白いです。
一つだけ考察。この映画の優子は、そばかすがコンプレックス、自分の名前が嫌いで勝手に別の名前を名乗る、夢は先生、周囲を引きずり回して自分探しをしています。これ、全部、「赤毛のアン」の主人公アン・シャーリーの特徴です。だから、これは、現代日本で「赤毛のアン」をやってみたらどうなるか、の試みなんでしょう。まあまあ成功しているんじゃないかな。とくに、坂ノ上茜のキャラクターがはまっていました。客観的には酷いことをやっていても、本人の魅力でカバーしちゃう、最高ですね。
映画本編は、あえて大学受験の結果を描かずに終わっていますが、これが「赤毛のアン」を下敷きにしていると考えると、結末は100年前から決まってます。優子アンは、親友の奈月ダイアナと一生涯友情をはぐくみつつ、無事に先生となって、紆余曲折の末、太一ギルバートと結ばれます。ハッピーエンドです。ああ、良かった。
そうそう、一つ言い忘れてました。100年前にアンが暮らし、幸せを築いた村は、「アボンリー」村というところでした。きっとカウンターの吉岡さんは、こういうでしょう。「聖アボンリー学院大学?知ってるよ、僕はなんでも知ってるんだよ!」