2.私なりに感じるキャプラ感を。人間というものは、おおよそ負の部分と正の部分を併せ持つグレイな存在であり、もぐら叩きのように負と正が顔を出したり引っ込めたりするものだと思っています。キャプラは自らの生い立ちでの経験上、そのことをよく知っていて、作品を通してそのような誰しもが持つ人間の内面をややもすればステレオタイプな人物設定や物語設定を利用することにより描いたのではないか。多面的な一人を表現するのに一面的な多数をもって表現したのではないのかな~と思うのです。一つの作品すべてをひっくるめて一人の人間なのです。よって人間のいやらしさなどを見せられたときにドキッと感じる瞬間、人間の高潔さや純粋さを見せられたときにホロッと感じる瞬間・・・その両方が自分であることの真実性に気付き人は心動かされてしまうのではないかな~と。そしてそのような人間の本質を提示しながらもなお良心を信じてやまないところがいわゆるキャプラタッチ、と言えるのではないでしょうか。このプラチナ・ブロンドもゆるやかに上流社会と小市民の図式で展開され、虚栄心や虚飾性で生きる人間と率直性や等身大性で生きる人間とを描きます。映像としても、流水ガラス越しのラブシーン、満月下のテラスでの3ショットなど美しく、大邸宅を表現するカットを割らない複数の部屋移動、ガラ~ンとした邸宅に響く声とその後の大賑わいの対比などキャプラの映画作家ぶりを感じさせてくれます。またこの作品がキャプラ・リスキンコンビの最初の作品で、その後の二人の活躍を見るとまさにプラチナな作品なのであります。