63.《ネタバレ》 仮に「ジャッキーの初期作品の仲で一つを選べ」と言われたら迷わずこの作品を選びます。
もちろん『酔拳』も好きだけど、個人的にはこの『蛇拳』に軍配を挙げたい。
『酔拳』の主人公フェイフォンは父親が高名な武道家であることを鼻にかけるドラ息子だったけど、本作の主人公チェンフーは孤児であるがゆえに理解者もいないし、身を寄せる道場からもいじめられるという身の上で、知らずの内に感情移入出来てしまう。
そんな人物です。
そんな彼がある日出くわすホームレス(実は蛇拳の達人パイ・チャンティエン)いじめの光景。
普通ならば見て見ぬ振りでしょうが、それが出来ずにすぐさま助けに入るチェンフー。
その優しさに打たれたパイは彼に蛇拳を教え、その条件の一つとして「ワシを師匠と呼ぶな」と提示するのですが、この一連のシーンと師匠を“いじめられるホームレス”と描写した冒頭部分だけで、本作はカンフー映画の「師匠は高尚なものであらなければならない」と云う既成概念を打ち砕き、すでに一線を画しています。
確かに彼は汚い。蛇拳の達人であるけれども、金持ってない乞食同然の身であることには変わりは無い。
だけど、飾ってなく嫌みでなく、限りなく小市民で、それでいて強く、優しく、英雄の言葉を発する。
そんな素晴らしい人物を理解者に持つことができたチェンフーは実に幸せ者です。
師匠ではなく、友人、そして次第にそれ以上の関係で結ばれていく二人の関係はなんとも微笑ましく、私は軽い感動を覚えてしまいました。
やがてチェンフーは蛇拳を強化すべく、猫の動きを取り入れた蛇形豹手を編み出し蛇拳の仇敵・鷹爪流派を打ち倒すのですが、蛇拳流派を倒すことだけに躍起になっていた鷹爪流派とは違い、この拳法はそれとは何の関係もない、流派のしがらみを超えた所で生み出されました。
だからこそチェンフーは流派争いのみに固執する敵を越えることが出来たのだと思います。
それでクライマックスで見せたパイ師匠のあの喜びよう。
私にはそれは“鷹爪拳が滅びたから”というより、流派争いに終止符が打たれた事、そして弟子が純粋な気持ちで己を超えた事に対する祝福であるように見えました。
とにかく、本作はこのテの映画に見られがちな敵討ちという、安易なテーマからの脱却に成功したばかりか、師弟愛を高水準で尊く描いた傑作であると私は確信しております。