42.《ネタバレ》 「お袋でも分からないな」
冒頭、顔面の大怪我により形成手術を受けた“男”が、鏡に映った自分自身を見ながら自嘲気味につぶやく。
あまりにもさりげなく発せられるこの台詞が孕む意味と闇の深さを知ったとき、全身が粟立った。
“タイムトラベル”とそれに伴う“タイムパラドックス”描いた映画としてすべての整合性が取れている作品だとは言わない。
綻びは当然あるし、独善的で強引なストーリーテリングだと言えばその通りだろう。
極めて“いびつ”な映画である。だが、その歪さこそがこのSF映画が持つ真価であり、揺るがない独自性だと思う。
普通の人間が無意識レベルで携えている倫理観や禁忌すらも大胆に超越して描きつけられる“SF”。
まるで見てはいけないものを見てしまったような驚きと当惑が堪らない。
「自分の尾を永遠に追い続ける蛇」というフレーズがまさに象徴的なストーリー展開は、明らかな「矛盾」を生む。
しかし、その「矛盾」そのものが堂々巡りとなり、物語の帰着を許さない。
一つの疑問に対する答えがまた別の疑問を生み、繰り返され、最初の疑問に戻ってくる。まさに時空の螺旋。観客も登場人物同様に時空の狭間に閉じ込められる。
と、これ以上の言及は未鑑賞者の興を冷めさせてしまうので控えなければならない。
初見の当惑のまま、すぐに観返したくなり、再鑑賞に至った。
「お前や私のような細身の顔」
「恋に溺れた経験は?」「一度だけ」「なら分かるだろ」
「不思議だよな この顔を見ると人生を壊した男を思い出す」
「娘もその父親も過去の亡霊だ」
「俺を爆弾魔かと?」「かもな」「お前かも」
冒頭の台詞を皮切りに、劇中で繰り広げられるあらゆる台詞にこの物語の真意が込められていた。
惜しむらくは、ただ一点。
主演のイーサン・ホークの初登場は、“バーテンダー”として現れるべきだったと思う。
“掴み”として、最初のシーンが必要だったことは理解できるが、あの時点で彼の「顔」までを晒す必要はなかった。
「俺たちには この職しかない」
というメインタイトル前の台詞を“リピート”させてラストシーンを締めたなら、この作品の特異な構造は更なるエモーションと共に際立ったのではないかと思う。
まあしかし、そんなことは些末なことだろう。
そういう鑑賞者個々人の考察も含めて、様々な感情が思い巡らされることが今作の最大の魅力だと思う。
サラ・スヌークという驚異的な才能、監督スピエリッグ兄弟の確かな映画的センス、綻びを補って余りあるストーリーテリングの力、このSF映画が掘り出したモノの価値は、極めて大きい。