31.《ネタバレ》 IMAXにて鑑賞。音響はド迫力でした。
本映画関連で大昔にNHKのドキュメントがあり(マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪)、ニューメキシコのすさまじい実験の映像とか、赤狩りの対象になり地位から追われた話は何となく知ってました(最近再放送)。
本映画で個人的に一番興味があったのは
・オッペンハイマー氏が核兵器反対に転じたきっかけは何か?
でした。期待しつつ観たのですが、それっぽい要素は丁寧に漏らさず取り込まれてましたが、巧妙に恣意的に時系列を混乱させごまかされてるため、結局よくわかりませんでした。
たとえば、有力候補で「終戦から数カ月後、広島・長崎の状況視察者の報告会が開かれたそれを見て改心?」という説があり、その場面もあるのですが(直接映像は悲惨すぎるため映画中では見せられないのですが)、一方、氏の主観的場面で講演時にフラッシュバックで人が焼き尽くされる映像が出て衝撃を受けるんですけど、順序が入れ替わっており、
・論理的展開:報告映画を観る→それが印象に残って講演時にフラッシュバックをする
・映画の表現:講演時にフラッシュバックをする→報告映画を観る
て感じに、実に巧妙に順序を入れ替えた問題の焦点をごまかす印象操作がされてるので、なんだかなあと。
あるいはですね、核実験のすさまじい結果であの甚大な大量殺りく兵器に対する罪悪感を醸造したというごく人間的な説も考えられます。しかしオッペンハイマー氏の女性関係の節制のなさ罪悪感のなさ子供に対する無関心から、全然まったく氏に一般的な倫理観があるように見えずどうなんだろうっていう。まあ、(既婚ですが)以前付き合ってた女性の自殺への強い罪悪感の表現があるので「死」に対しては罪の意識があったのかもしれませんが。
で、実験結果で罪悪感を覚えたとすると、本映画では、爆発映像が大きな花火を打ち上げたかのような実に美しい絵柄で描かれ、時間差のすさまじい爆音と衝撃波でその恐ろしさが表明されるのですが(爆音・衝撃波のフラッシュバックは何度も出てくる)、これも恣意的に「被害」を隠ぺいした表現になっていて、もちろん実験は人を避難させてたと思うんですが、ドキュメントの映像などであるように、近隣の建築物がすさまじい爆風で吹き飛んでたわけですけれども、映画中ではそういう「被害」も一切見せないわけです。だから、人ではないけど、人の作った構築物への甚大な被害を見て、これは良くないと、見識を変えたのでは? と想像したくなるのですが、そのような映像も全て隠蔽される。
あと、世界初の核実験なので認識は甘く(実際、投下時の被害者数見積も大幅に少なく)、日焼け止めクリームにサングラスしただけでは到底足りず被爆してしまった人もいたと想像するんですが何も説明はなく(水爆実験の被爆者は大問題になりました)、本作で一番無神経な演出と思ったのは「実験が無事終わったらシーツを家に取り込んでくれ」てのがあって、映画では家が実験場からそれほど遠くない場所に見えたんですが(勘違い?)、そうすると外に干したシーツが被爆して大変なことになるのでは、ってのがすごい観ててヒヤヒヤした。爆発・炎・爆音・衝撃波等「目に見える」被害は認識するけれど、放射線被ばくなどの「目に見えない(聞こえない)」被害への認識がまったく甘く、無神経な演出をついついしてしまう、という昔ながらの悪癖は全然直ってないな、て感じでした。
あと話の終盤オッペンハイマーがアインシュタインと実はこんな会話をしてた、というネタ晴らしがされるのですが、個人的意見としては、
「アインシュタインはそんなこと言わないんじゃないかな」
と思ってしまった。実際どうなんでしょう。
そんな感じに、まとめると、前世紀最大の発明であると同時に最大最悪の大量殺りく兵器を作り出してしまった「罪」に真正面から対面しようとして、結局対面できずごまかした作品かなあと、私は認識した次第です。
で、今年のアカデミー賞は本作と、大量殺りく兵器に真正面から立ち向かう「ゴジラ-1.0」が同時に各賞を受賞するという、非常に面白い巡り合わせになっており、現実では各地で戦争が巻き起こり、禁止されてたはずの非人道的兵器もバリバリ投入され、最悪、核使用の危機すらあり得る状況で、このような映画が高評価になったのは、世間への問題提議としては良かったのかも、と思ったりなんかしました。
そんなところです。