108.《ネタバレ》 日本のアニメ作家は所謂メタフィクショナルなテーマを好む傾向がある。特に今敏監督はそれが顕著だ。
本作は今監督が描いてきた作品の中でもとりわけメタ構造が巧みに作用している。
過去と映画が入り交じり、さらにインタビュアーポジションの2人が併存する事で事実とも虚構とも判別のつきにくい展開が続く。
しかし、やはり構造的にクライマックスの一連の映像の為に必要ではあるが、同じ様な場面が何度も繰り返されるのは難点ではある。
物語は千代子の回想が大部分を占めており、一貫して「鍵の君を追いかける千代子」にフォーカスを当てている。
肝心の「鍵の君」の顔は出さず、千代子自身も思い出せない。出会いのシーンや物置の場面でも、カメラはリアクションをとる千代子ばかり映しており、千代子自身が、「想い人を追いかける自分」しか思い描いてない。
少しでも勘が働くなら「この人は自分に酔っているんじゃないか?」と気付く筈である。
ナルシシズムの美しさ。そのあたりがまさしく"女優"なのだと言える。
どの場面で作画の力が入っているか注視すると、監督が重要視している部分も分かるだろう。
「満月は次の日から欠けてしまうけれど、十四日目の月にはまだ明日がある。」という鍵の君のセリフはまさに千代子の心情を表現している。
想い人と出会ってしまっては、"追いかける自分"が終わってしまう、という訳だ。
本作に限らず、今監督が描く女性は、思い入れがあるというよりも、何か"女性という生き物を外から生態観察した結果"といった印象を受ける。
その反面、本作における源也の様な中年男の描写は些か本人の趣向が反映している部分がある様に思われる。
薄目で全体をぼやかして観てみると「幻の湖」に見えてくるのは私だけではあるまい。よく走るし。
今監督は本作を戸川純の「遅咲きガール」のPVから着想を得たと語っているが、無意識のうちに根底には「幻の湖」があったのでは?と思うのは考え過ぎだろうか。