《改行表示》59.《ネタバレ》 あり?黒沢作品は今まで「神田川淫乱戦争」しか観た事なくて、あれは確かに訳分からん映画だったけど、これはすごく分かり易くてポップな作品だったと僕は思ったんだけどな。端的に言えばこれは象徴的な意味での「父と子の関係性の回復」の物語なのだと思う(そういう意味では「ビッグ・フィッシュ」にも通じるものがある)。僕は若者ではなく、そろそろ中年の階段を上るお年頃(いや~ん)なので、浅野オダギリの感覚も笹野高史(殺されるオッサン)や藤竜也の若者に対する感覚も分かる気がする。僕も多分若い頃にああいう形で「どんなCD聴いてるの?」とさほど親しみを感じている訳でもないオッサンに言われたら、殺意は芽生えないものの多少イラついたと思うし、自分の息子に対して父親らしい態度が取れずに困惑する藤竜也も凄く「そうだよなー」と思った。何故かと言うと、僕と父親も似たような感じだから。いや、別に「一千万出せよ」とか言ったりはしないけどね。ウチの父の場合、僕が子供の頃は仕事の都合で殆ど顔を合わせなかったし、大学入ってからは一人暮らししてて連絡もあんまりしなかったんだよね(因みに母親は僕が中一の時他界)。んでまあ色々あって今一緒に暮らしてるんだけど、やっぱコミュニケーションたどたどしいもん。親父は僕がどんな音楽を聴いているとか、どんな映画を観てるとか知らないし、僕も親父の事を実はよく知らない。ぶっちゃけた話感謝も尊敬もしてるけど、それをどういう風に出したら良いか分かんないんだよね・・・っていつの間にか告白タイムになっちゃった。映画に話を戻すと、つまりオダギリと藤竜也は自殺した浅野を介して擬似的な父と息子の関係性を獲得したんだと思う。んー、まーつまりさ、ぶつかり合えば良いじゃんって事だよ。あの「許す」のシーンは泣けました。僕が監督だったらあれをラストシーンにすると思うんだけど、そうしなかったのは監督の「照れ」かな。そうそう、最後の高校生のシーン、あれは監督の若者に対する「挑発」なんだと僕は解釈しました。「お前らはどうするんだ?これからの“ミライ”」っていう、ね。浅野忠信も言ってたけど、僕はこれ観て爽やかな気持ちになりましたよ。あと、もうちょっと親父と話しとこうかな、とも。僕は今の所自殺する予定も死刑囚になる予定もないけど、親父もう七十過ぎだからさ。あ、THE BACKHORNの主題歌も最高。 【ぐるぐる】さん [DVD(字幕)] 9点(2005-05-04 16:51:01) (良:2票) |
58.《ネタバレ》 先の読めない始まり。いらいらする日常。意外な展開。感動的な予定調和で終わるのかと思わせておいてプチンと中途で終わる意外性。オダギリジョーの姿ではなく表参道を歩く高校生達で終わらせた黒沢監督は天才ではないかと観た時は思いました。他にもいろいろラストの絵は考えられたと思いますが、決して誉められた存在ではない筈の、脇役である高校生達を最後にもってきたことで、そこまで描いてきた3人の男達のドラマと映画のタイトルが観るものの心にずしっと何かを来させたのではないかと思うのです。何故なら誰でも高校生だった時はあるのだから。そう、あの頃、漠然と未来に対して抱いていたイメージは「明るい未来」ではなく「アカルイミライ」だったなあ、とデジャブ感みたいな感じで自分の中で納得してしまいました。この映画は希望の映画だと思います、ホント。「明るい未来」ではなくて「アカルイミライ」、のっぺりと記号化された抽象的な未来でしかないけれど、そこへ向かって歩いていく。うーん、この映画ほど、心には何かが届く、でもそれを言葉にはうまくできないという映画はあまり無いのではと思います。そういう意味では最も映画としては成功している映画、ということで満点です。 【Sean】さん [CS・衛星(邦画)] 10点(2007-07-23 17:22:39) (良:1票) |
57.若者の怠惰な生活、すぐキレる性格、そして凶悪な殺人、、。親に対する息子の態度の醜悪さ、対する親の威厳のなさ、集団でたむろしては目的もなく犯罪を重ねる高校生、、。そんな描写から描かれるのは普通、現代の教育問題だったり、家庭問題だったりがテーマとして与えられ、現代社会の病巣が描かれたりするものです。そうなると、この先日本はいったいどうなるんだという不安や諦めが作品を支配するか、もがき苦しむ若者たちの悲壮感であふれた作品になるしかないはずである。しかしこの作品はそのどうしようもないひとつひとつの描写から見えないはずのほんの僅かな光を見ようとし、幻かもしれないその「アカルイミライ」を確かに画面に残した傑作だ。題材に縛られない演出をこれまでずっと観せ続けた黒沢清が、今回もネガティブな題材をポジティブな演出で観せた。殺人という、とり返しのつかない罪を犯した若者は、もしかしたら友人を助けるためだったのかもしれないという微かな光。もちろん殺人を肯定するものじゃなく、全くの闇じゃないという可能性の提示でしかない。しかしその可能性も見ようとしなければ見えないもの。擬似家族がさらに光を模索する。今の若者の凶暴性や欲深さや無気力さの原因がどこにあるかは描かない。そうなってしまった彼等は、彼等なりに生きるしかない。ラストシーンの無理やりに引き出した「アカルイミライ」が眩しかった。 【R&A】さん [DVD(字幕)] 8点(2005-12-16 16:57:01) (良:1票) |
56.《ネタバレ》 「浮遊するポストモダン」この映画に解説をつけるのならば、さしずめこんなタイトルにするだろう。日本のポスト近代への移行が、共同体の解体に伴い、規範を壊し続けているとしたら、そこに生み出されるものは何であろう?その答えが、真水に生きるクラゲと、街を闊歩する少年達だ。フワフワと漂うクラゲ、そして、フワフワと生きる少年達は、一見してただ流されるだけの存在でしかない。社会から外れ確固とした意思を持つわけでもなく、気分だけで生きる彼ら。それが日本のミライだと言われれば、多くの人は戸惑うに違いない。海でしか生きられないはずのクラゲは、水槽という閉じた系から、あるとき外界へ流れ出す。それはこれまで淘汰さてきたはずの存在が社会に溢れだしたこの10年を模している。宮崎勤、宅間守、数多くの不可解な事件が世を騒がせた。オタク、トラウマ、家族崩壊、、、メディアは理由を探し社会は憎むべき者を探して彷徨った。「責任能力を有する」つまり「正常」な彼らがなぜ平然と「異常」な犯罪を犯したのか。そのパラドキシカルな問いに向かい合えない我々は、「不可解」の一言で片付けてきた。しかしクラゲの毒に理由があるだろうか?クラゲの心がわかるだろうか?それは、完璧なる断絶である。守のように社会の規範や価値観から離れたアウトロー(宮台真司は『脱社会的存在』と呼ぶ)は、我々の言葉では語ることができない。これは村上龍の示すような、楽観的アウトローの姿ではない。真水の東京で生きる力を獲得しても、クラゲ(=アウトロー)は危険で駆除されるべき存在でしかない。しかし未来を予言する仁村は確信を持って答える。「彼等はきっと帰ってくる」と。アウトローと共生することのできる唯一の存在である少年達の胸には、戦いの中で死んだゲバラがイコンとして刻まれている。彼らは「アカルイミライ」を支え歩き続ける。(それがエンディングで示されたようにフィクションだったとしても!)黒沢清の提示したミライ。それは日本のポストモダン像に他ならない。過去を生きる者達は傷つきながらも「許す」のだろうか。それとも、徹底的な駆除を試みるのだろうか。この映画のタイトル「アカルイミライ」は近代批判、または、ニヒリズムではない。我々はそれを受け入れるしかない。黒沢は淡々とそれを描いている。 【fero】さん [DVD(字幕)] 9点(2004-02-29 06:12:52) (良:1票) |
55.どうしても有田や仁村には感情移入できないし、気持ちもわからない。実際そういう意味不明な、衝動的な行動が多い。高校生も含めた、彼らのような若者もいるが、仁村の妹やその彼氏なども若者だ。監督はそこら辺をどう捉えていたのだろう。 【noji】さん [DVD(邦画)] 5点(2018-09-25 00:28:51) |
《改行表示》54.刑務所の面会室で、フラフラと歩き回る浅野忠信が看守によって、椅子に座り直されるシーンが二回程あったかと思います。看守が両手でトントンと肩を叩き、まるでお前の居場所はここだということを示しているようでした。彼はとにかく、正社員であり、兄であり、さらには兄貴分という役目になることさえも嫌っていて、ひたすら、自由を求めるその姿が前半部のストーリーテラーでした。ようするに、黒沢清が撮りたかったのは、クラゲが“水槽”に入れられているカットでありシーンであると思いました。決して、水にぷかぷか浮かんでいるだけの姿ではなく。さらには、人の心を和ますのではなく、人を刺す姿。そして、そんな水槽が浅野忠信の部屋という枠から存在しなくなるカットはストーリーの危機の予兆でもあったことは間違いありませんでした。ところで、ゲームセンターで彼の妹の彼女に負けた時、オダギリは茫然自失となるのだが、“Panic”とプリントされたTシャツを着た店員?がちょうどカメラの前を通り過ぎるだが、これは偶然とは思えませんでした。状況説明シャツっていうやつですよね。撮影クルーという、普通では画面の枠には映ってはいけないものが映り込んでしまうラストは今作にお誂え向きなラストだったと思います。奇抜さだけを求めた学生映画と一枚も二枚も上手の演出でした。“枠”を強烈に意識した映画でした。 僕が一番印象に残っているのは、おしぼり社長の娘でした。買い与えられた勉強机、という名の拘束椅子が運ばれているのを、あの少女がどんな顔で見つめていたかをちゃんと見ただろうか?どんな顔で夕食を食べていたかをちゃんと見ただろうか?少なくとも、あの親は気づいてはいないでしょう。偶然見たとしたとしても、“具合が悪いの?”と頓珍漢な言葉を投げかけ、そして、少女は“大丈夫だよ”と儚げな笑顔で返すのが関の山でしょうか。お前ら親が危険の温床である。浅野忠信はきっと気づいたに違いません。あの子は小さなクラゲだと。毒を以て毒を制するべしと。川に解き放つべきだと。浅野忠信やオダギリがあの親を殺さなければ、あの少女が殺していたかとも思います。だから、家族という檻から放たれ、トンネル?を一人で歩いていく、名も知らないし、その後、映画から飛び出したようにも思える少女に僕はいたく感動しました。 【うー】さん [DVD(邦画)] 8点(2015-09-26 08:45:11) |
《改行表示》53.僕はいつも映画を観るとき、自分の人生を変えてくれる映画、そして自分の今までの人生、これからの人生に寄り添ってくれる映画をいつも探しています。 まちがいなくこの映画は自分の中でそういった存在になる一本です。これから先どんな人生であろうとも、いつでもクラゲは生きているのだと、どこでもクラゲは生きていけるのだと信じたい。 【ちゃじじ】さん [DVD(邦画)] 10点(2015-02-16 03:14:55) |
《改行表示》52.《ネタバレ》 なんだかよくわからないけど、ちょっと面白かった。 前半は社長のキャラが興味深かった。 ボーナスくれたり、正社員にしてくれたり、行為は明らかに善人なんだけど、どうも好きになれない。 嫁がエロいから僻んでしまったんだろうか??? 後半は父親が面白い。 こちらも同じく善人なんだろうけど、息子たちからはあまり慕われていないようで、ちょっと可哀想だったけど、クラゲのお陰で何かから開放されたようで良かった。 ラストは意味不明だったけど、あれは増殖したクラゲなのかな。 猛毒を持ってて人に迷惑を掛けるので駆除されちゃうんだな。 だから、さっさと東京から逃げろというメッセージかと。 でも、何れまた東京に戻って来るんだろうな。 【もとや】さん [DVD(邦画)] 6点(2014-05-29 13:26:42) |
51.語り得ぬものについては沈黙しなければならない、というマキシムが浮かぶ。クラゲに安易にメタファーを乗せるのではつまらない。映画でしか表現できないものを表現している。不思議な作品である。語ろうとすればするほど、語りたいものとは程遠いものができあがる。まだこの作品の真価は自分には見極められていないが、映像美と個々のシーンの素晴らしさくらいは多少は分かっているつもりだ。 【Balrog】さん [DVD(邦画)] 7点(2010-10-28 00:21:37) |
《改行表示》50.《ネタバレ》 アカルイミライ‥‥か。そりゃ夢の中くらいでしか遭遇できないもんかもね。 その前に、浅野忠信って演技うまいすか? にやにや笑ってるだけで評価されてしまうお得な俳優ではあるけれど、なんか下手じゃないすか?今回、ベタベタな演技しか見れませんでしたが。 逆に、オダギリジョーはよかった。 名前くらいしか知らない俳優ですが、素でやってんの?と思うくらいにはよかった。 映画のテーマなどは、知らん。 わかりやすく文章で書けるようなメッセージはなかった。逆に、だからよかったと思う。 十代の若者がどう受け取るかは、大人に育ちきったワタシにはわからない。 逆に、大人の立場でみているから、有田父の言葉は心の琴線に触れた。 「許す。わたしは、きみたちを許す」 これは、自分がどん底で苦しんでそれでも他者への愛情を失わずにいられたという経験なくしては、言えない言葉だと思う。他人を切り捨てる事がどうしても出来ない、やさしい(ある意味では弱い。そして強い)人間でなければ決して言えない。 そして、私自身は決して仁村に言ってやれないであろうから、有田父の言葉に涙が出た。 はたして、現代の日本のどれくらいの大人たちが、有田父のようなやさしさと強さを持っているでしょうかね? 自分自身のことを含めて自戒しました。 そういう意味では、仁村が前進するまでの話ではなく、前進するために子ども達が必要としているものを、大人たちが与えられているだろうか?というメッセージを受け取ったのかもしれません。 【りりらっち】さん [インターネット(字幕)] 5点(2010-10-02 20:45:36) |
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《改行表示》49.《ネタバレ》 ん~。まぁ言いたいことはわかるけど。 最後のほうでオダギリジョーが、大量発生したクラゲが海に帰ろうとしているとか、一番まともそうなことを言ってしまったのが、 わかりにくいメッセージを送っている映画から、送っている風な映画に格下げちゃった気がします。 人畜無害に過ごそうとも狂気を潜ませて、現代の若者が何を求めて、何にイライラしているのかとかよく描けてたんだけど、 あのシーンで正気に戻って、逆にこれまで大人として対応していた藤竜也の方が狂気めいてしまってて。わざとにしてもツボを外しちゃったなぁ、って思った。 最後に頭悪そうな高校生達が町を闊歩していくラストも、狙いすぎで恥ずかしかった。 【バニーボーイ】さん [ビデオ(邦画)] 5点(2010-01-10 11:17:49) |
48.《ネタバレ》 うーん、難しい。浅野忠信はよかった。ただ共感できる部分があまりなかったかな。 【osamurai】さん [DVD(邦画)] 6点(2009-07-12 13:29:11) |
【しっぽり】さん [DVD(邦画)] 4点(2009-07-05 17:49:42) |
46.《ネタバレ》 有田守が画面から消えて、代わりに父親が登場してくると思いっきり失速します。悪高校生がでてくるともうただのつまらない映画になりました。最初の方は良かったのに。 【紫電】さん [DVD(邦画)] 7点(2009-02-07 22:07:54) |
《改行表示》45.《ネタバレ》 面会に来た父親の「いやただ顔が見たくなったんだ」のところで涙がでる。その前の、息子が大罪を犯したことに対する動揺ぶりも、こちらの胸が痛むほど。おそらく父親らしいことはして来なかったのだろう。たった一人の肉親であるかのように、息子に向かい合う。鉄条網越しに、初めて。それはどれだけギリギリのことだったろう。 どうしようもない人というのはいて、どうしようもない時というのもあって、どこかで赦されないと、誰か一人でも赦してくれないと、その人はもう、壊れるしかないのだと思う。 若いころの藤竜也は、この映画の二人の若い役者よりも勝る色気のある、素敵な俳優だった。でもここでは、かっこつけも何も捨て去って、空虚さをまといつつもそれと戦い現実を確かに生きる、口調のやさしい、おじさんになっています。自分もいい年になったからか、年をとるということはどういうことかを日々考えているためか、気づけば父親のことばかりみていました。 実は松ケンみたかったんだけど…(笑 最後、あのどうしようもない高校生たちが、歩いているうちにだんだんまっすぐ前をみて、しっかり歩くようになっていったのは、「お父さん、大丈夫だよ」と云っているのかもしれない。と思いました。 【air】さん [DVD(邦画)] 8点(2008-09-25 14:36:02) |
44.雰囲気は嫌いじゃないです。意味不明なところも多いが不思議とつまらなくはない不思議な感じです。 【茶畑】さん [DVD(邦画)] 5点(2008-07-19 23:41:39) |
43.琴線に触れました。真一郎パパはクラゲの向こうに一体何を見たのでしょうか。最後も何か切なくて良い。 【Kの紅茶】さん [DVD(邦画)] 7点(2008-04-09 11:56:39) |
42.なんとも評価しがたい作品ですが、なにか心に残るものはあります。彼らに明るい未来はあるのでしょうか。エンディングテーマのバックホーンの曲もなかなかマッチしてます。クラゲが印象的です。 【すべから】さん [DVD(邦画)] 7点(2008-02-11 14:08:47) |
【フッと猿死体】さん [DVD(邦画)] 6点(2007-12-08 10:52:46) |
《改行表示》40.「これが噂の黒沢清監督作品かー」とか思ったが、自分には合わず。 ただし、浅野忠信は孤高の存在だ。 【にじばぶ】さん [ビデオ(邦画)] 3点(2007-09-04 09:27:25) |