4.《ネタバレ》 ベルイマンのほかの作品に比べ、神は登場しない。青年とモニカの、世界から隔絶された二人だけの時間を過ごし、そして妊娠してまた現実世界に戻ってくるという話で、いたってシンプルである。誰も裁くことなく、話は終わる。ただ、子どもと家庭を前にして、青年が昔の、船で旅に出て、二人だけの世界だったあの頃を、切ない(?)気持ちで振り返って、映画は終わるのだ。ベルイマンの作品でなければ、今日の我々が、この作品を観るということもなかったかもしれない。後のベルイマンの映画を理解するのに、後で位置づけのはっきりする作品なのかもしれない。 【トント】さん [DVD(字幕)] 7点(2014-07-28 21:55:49) |
3.モニカの凄く挑発的な顔付き、視線から何か女の強さを感じさせられる。モニカの語る眼が強烈なほどの印象を与え、ここには人間の強さと弱さの両方が見えてきて、イングマール・ベルイマン監督はモニカ自身に自分の生い立ちを投影しているような錯覚を覚えずにはいらななくなる。観ていて楽しい映画でもなければ、むしろ、どこまでもモニカの前に翻弄され続けるハリーの姿が何とも痛く感じられてしまって、悲しくなってくる。それにしてもこの映画のモニカの挑発的な目付きと肉体、あれは女だからこそ出せるものを感じます。絶対に男には出せないものがこの映画のモニカを観ていると感じてしまいます。 【青観】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2010-07-06 22:11:47) |
《改行表示》 2.ベルイマンらしくないけど、普通に楽しめます。 いや、ベルイマンらしくないからこそ無難に楽しめるのでした。 【にじばぶ】さん [ビデオ(字幕)] 5点(2007-10-14 17:50:00) |
1.《ネタバレ》 「今日の映画界にあって『國民の創生』と同じ役割を果たしている」とゴダールに絶賛され、ヌーベルヴァーグの監督たちに多大な影響を及ぼしたという本作は『夏の遊び』同様に「若き日」を同じくあっという間に過ぎ去ってしまう「眩しい夏」にリンクさせて見せる。大人社会から脱出し北欧の夏を満喫する若い男女。そして当然やってくる終焉の日。若い男はすさんだ大人社会に適応しようと懸命に働く。愛する女と自分の子供のためにという目的があるから。しかし若い女は自分の子供ですら自らの自由を奪う社会の一部にしか見えない。女は自らを堕落させてゆく。それを象徴するシーンがレストランだかバーだかで昔の恋人と思われる男と会っているときの、画面を観る我々に向けた恐ろしいまでに冷たい眼差しである。もうこの後は見なくてもわかる、それほどまでに強烈にその後を暗示させるシーンであり、ついさっきまで画面にあった夏の陽気が嘘であるかのように観る者を凍りつかせる。そしてとんでもない映画を観ているのだと、この瞬間自覚するのである。 【R&A】さん [映画館(字幕)] 8点(2007-03-16 19:03:39) |