171.《ネタバレ》 これは何度観ても色褪せないです。
ノスタルジックな町並み、ミュージック、子供の楽園、、、
僕が子供のころに見た夢がそこにあるように思った。
「少年」から見た「少女」はとても不思議で神秘的な生き物であり、それが学園の中でとても不気味に存在している(少女は神秘的なパワーを放つ存在)。
「少年」と「少女」との「世界の違い(故郷の違い)」というものが、見事に描かれているが、しかし学園の中ではそれらが同じくらいのエネルギーでもって渦巻いている。
「中性的」な主人公の少年「ダニー」は、その「少年の世界」と「少女の世界」との間をさ迷うのである。
だから「ダニー」の存在は中間に位置する。
「少年達の遊び」と「少女達の遊び」を覗き見て、中性的な存在の「ダニー」はどちらか迷う。
迷っているからこそ、隠れてオドオドしながら覗き見しているのだと思います。
「ダニー」は少年達が爆弾を作る「遊び」を覗き見る。
「ダニー」はお墓での少女達の「遊び」を覗き見る。
「少年の世界」と、「少女の世界」を見事に対比させていると思う。
「少年」と「少女」はお互いに別々の集団を形成し、その間は目に見えない確かな境界線で仕切られている。
また、それと同時に、「子どもの世界」と「大人の世界」をも対比させている。
「子供の世界」が楽園で永遠であるかのようなのに対して、
「大人の世界」が醜く下品に描かれていると僕は思うのです。
主人公「ダニー」は「悪ガキのトム」と、「恋する少女メロディ」との間を行き来する。
「トム」と、「メロディ」も、また上手く対比されていると思います。(「ダニー」と「トム」との関係が同性愛っぽく見えたのは僕だけかな?)
「メロディとのデート」と「トムとのデート?」これまた対比!?
この映画、相反するものどうしを対比させまくりだ。
でも、それよりも少女という神秘的な生物を見事に描き出している。
「お墓での戯れ」もそうだが、「バレエの授業」を覗き見た時の少女の妖精のような姿、校舎を歩く少女達の奇麗な生脚!とてもエロティックで神秘的だ!
食堂でダニーが「隣に座っていいかい?」と少女メロディに尋ねるシーンは、とても恥ずかしくて見られない!
この映画は爽やかなハッピーエンドですが、その裏にあるどこか陰(毒?怪しさ?性?)があり、それがとても魅力的な雰囲気を放っている。でもやっぱ「純粋」だぁ!