44.これより完成度の高いトリュフォ-作品もあるだろうし、もっと「面白い」ものもあるかもしれない。けれど、ぼくにとってこれが最高のトリュフォ-映画。イザベル・アジャーニの鬼気迫るヒロインぶりを、突き放すんじゃなく、そっといたわるような眼差しで包み込む演出のデリカシー。しかしそれでもどんどんと堕ちていくアデル・ユゴーの愛の凄まじさに圧倒されてしまう。ここまでくると、その盲目的な狂気の愛は、一種崇高ですらある。それを「ストーカー」みたいな一語で斬られちゃ、困りますよ! 【やましんの巻】さん 10点(2003-06-30 14:59:43) (良:1票) |
43.《ネタバレ》 実話とは言え、重い、すごく重たい話しで、まるでエミール・ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』の中の一編を映画化したような感すらあります。19歳だったイザベル・アジャーニの初主演作であり、彼女の登場は全世界に衝撃を与えたと言っても過言ではないだろう。構想自体はトリュフォーがずっと温めていた企画で、TV出演していたアジャーニを観てすかさずアデル役に抜擢して一気に脚本を書きあげたとか。ほんとにこの人は女優を発掘する天才です。 トリュフォー作品にしては珍しい時代劇、いわば歴史劇的な作品であり、彼のロマン主義的な指向が伺えます。一人の人間がある人物を執拗に追っかけまわすというプロットは、例えは悪いかもしれないがリドリー・スコットの『デュエリスト/決闘者』に通じるものがあります。もちろん本作は男女の恋愛関係のお話しですけど、物語ではアデルが追い回すイケメン軍人とは彼女の一方的な片思いで、ビンソン中尉の眼からはアデルはとっくに恋愛対象じゃなくて、もはや恋愛関係とは言い難くなっている。そういう意味では『デュエリスト/決闘者』と同じように二人は修羅場という決闘を延々と続けていたという事も出来るでしょう。とにかくイザベル・アジャーニの鬼気迫る演技を見ているとまるでソフトな心理ホラーで、とてもじゃないけど『恋の物語』とは呼べません。アデルはやってることは滅茶苦茶でとても感情移入できる代物じゃなかったが、さすがにラスト近くになると可哀そうになってきます。これもイザベル・アジャーニの熱演の賜物でしょうね。 そう言えば前半で夜会にアデルが潜り込んでビンソンと人違いする将校、どう見てもトリュフォーのカメオ出演でしたね。これもヒッチコックへのオマージュなのかな。 【S&S】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-07-09 23:33:15) |
《改行表示》42.《ネタバレ》 この映画を見終わって、日本には“馬鹿息子”って言葉があるけど“馬鹿娘”って言わないよなぁとか、しょーもない事を考えてしまった。 さて、この原作や映画は当時のフランスではどういった評価だったのだろう。 美しい一つの愛の物語として受け止められたのか、狂気の女として恐れられたのか、あるいは揶揄されたのか、気になるところです。 映画でいえば、ヒロイン役のイザベル・アジャーニの演技が素晴らしく、下宿先の女主人からピンソン中尉が来たことを聞いて慌ただしく身なりを整えるところからの流れが特に良く、夜の墓場に出て自身の気持ちを訴えるシーンなど、彼女の鬼気迫る演技には魅了され尽くしてしまいました。 また、何度も舞台となった銀行、下宿、本屋などの内装の美術面でも目を見張るものがあり、上記のシーンなども含めた照明やカメラなどのスタッフワークも充実しているのが伺えます。 主人公アデルは、我が道を行くといえば聞こえは良いが、やる事なす事すべてが常軌を逸した激情的女性。 男装して夜会に潜入し、親をも欺き、催眠術をたくらみ、ピンソンの相手の親から金を巻き上げ、男を振り向かせようとする。 終盤にかけては、一張羅のドレスもズタズタになるほどに他のすべてを捨てて愛を突き通さんとするアデル。 その行きつく果て、最終形態は、好きなはずの相手の顔も認識できなくなり暗号で日記を書くまでになってしまうという。なんと恐ろしいラブストーリーだろうかと戦慄するほどです。 ところで、文豪の父ビクトルとは親子関係はどうだったのか。 本屋の男からのプレゼントとしてレ・ミゼラブルを贈られた時の反応を見るに、決して良好ではないように感じられます。 主人公アデルが凄いのは勿論、国葬にもなったユゴーの馬鹿娘をネタにした原作者フランセス・V・ギールという男の度胸もなかなか凄いと思いましたが、あくまでも美しい抒情詩として著された作品であり、そう捉えるべきでしょう。 でないと、国葬に参列した200万人を敵に回すことになりかねませんので。 【もっつぁれら】さん [映画館(字幕)] 7点(2022-10-07 02:15:14) |
《改行表示》41.結婚しなかった彼の判断力は、評価に値すると思う。 「へんな人について行ってはいけません」という親の教えに忠実だっただけかもしれませんが。。。 【マー君】さん [DVD(字幕)] 3点(2016-03-27 10:41:34) |
《改行表示》40.なんて言っていいんだろう。 救いがないというか、狂気的というか(それほどでもない?) 単に一人の女性の生き方、と捉えてみるのが正しいのか。 良くわからない映画だけど、なんか記憶に残る映画でもある。 もう少し年をとってからまた見直してみたい。 【kosuke】さん [CS・衛星(字幕)] 5点(2014-01-21 13:25:35) |
39.狂気の愛と言えばリアルタイムではまったのはベティ・ブルーだったが、イザベル・アジャーニの美しくも鬼気迫る、そして容赦なく壊れていく女の表現は、そのイッちゃってる感において「これぞ本家」と思わせる迫力があり、さすが。これは男性にとってはホラー映画なのでは。 【lady wolf】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2012-11-02 11:19:23) |
38.試写会での鑑賞でした。ケツの青いガキだったので話は半分もよくわかっていなかったと思いますが、イザベル・アジャーニの美しさにノックアウトされました。 【ジャッカルの目】さん [試写会(字幕)] 6点(2012-08-27 23:20:31) |
37.自らを破滅させるような恋。同じ女子とはいえ、私には理解不能なまでに情念が濃い人というのはいるものです。現実にもプチ・アデルはちらほらいるものの、そこは本家イザベル・アジャーニの迫力の足元にも及びません。精神崩壊が外側にもあらわれた彼女の痛々しいこと、でも何故か目をそらせない美しさも漂っててなんか凄い怪物のようです。ああまで突き抜ける彼女が羨ましいような、いややっぱりひくような。 【tottoko】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2011-10-28 17:42:22) |
《改行表示》36.ここまでくると情熱的を通り越して狂信的としか思えない。ピンソン中尉は二枚目かもしれないが、どうもそれほどの人物ではなさそうなのに・・・。親(ビクトル・ユゴー)も大変だったろう。これが実話だとは恐れ入る。 これがイザベル・アジャーニでなければ、とても見られたものではない。 【ESPERANZA】さん [映画館(字幕)] 6点(2011-10-06 22:14:00) |
35.イザベル・アジャーニが、トリュフォーの創りたいものを正確に理解しているからこそ、こういう静謐とした映画になるんだろうと思う。何度も繰り返してみたい映画の1つだ。 【みんな嫌い】さん [DVD(字幕)] 7点(2011-05-26 00:31:08) |
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34.アデルや「カミーユ・クローデル」のような女性を他の女優が演じていたら、目も当てられなかっただろう。人形のような小さな顔のアジャーニが演じているからまだしも見ていられるのだ。最後のモノローグが彼女のイメージをわずかに昇華している。 【レイン】さん [DVD(字幕)] 6点(2009-07-30 00:02:00) |
33.《ネタバレ》 まあ、確かにアデルのしてることは、ストーカー行為として見られても仕方がないことかもしれない。しかし、単なるストーカー行為の嫌な女の話として見るのだけは間違ってると思います。人は誰だって自分が可愛くて仕方がない生きものであり、異性を好きになるのは当たり前の事であると思う。この映画はその人としての当たり前のことをただただ見せてるだけであると私は思います。その見せ方がただあまりにも狂気を覚えてしまうために受け入れにくかったり、感情移入出来なかったりと見た人によって感じ方が違う。それだけのことではないでしょうか?どこまでも一途な上に気がおかしくなってしまうアデルの美しさ、不幸な女を演じているイザベル・アジャニーのあまりの美しさ故にどこまでもどこまでも愛を求められ、そんな愛に応えることすら出来ない男の行動は相手が美しければ美しいほど、本当に自分で良いのだろうか?例え、現在は愛されててもいずれは彼女に嫌われてしまいやしないか?という男の何とも女から見たらアホかもしれないけど、男とはそういう生きものなのであると監督のトリュフォー自身が伝えたい。伝えたかった作品ではないかと私は思う。ピンソン中尉がアデルに対し「アデル」と呼びかけた時は既に何の反応すら示さなかったアデルの女としての悲しさ、ラストのアデルの表情にはもう、何もかも終わってるというようなものが見られる。正にアデルの恋の物語が完全に終わった瞬間と思える終わりにこの映画の伝えたいものというものを感じることが出来た気がします。 【青観】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2009-02-01 11:21:41) |
32.《ネタバレ》 女を泣かすような事だけはするな、と友人が親から言われた言葉だそうです。ここまで想ってくれるならいいじゃないか、冷たい男だなと最初、観ながら思ってたのですが、お金にだらしない性格は彼女の方もそう。男の性格を真似してるのかな?親が大物だから生きて帰れたけど、こんなに仕送りしてくれる親なんていないでしょう。でも、この主人公の性格からして、連れ戻したって、また男のところに行きそう。親の血をひいて、感受性が豊かなんでしょうけど、「愛」があれば何とかなると信じてたのでしょうか。男の方も次から次へと女性を乗り替えるな!といいたい。この男の方がのたれ死にして欲しかった。 【トント】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2008-05-14 22:22:17) |
31.《ネタバレ》 共感できた自分もどこかおかしいのかもしれない、と思う。イザベル・アジャーニのラストの空ろな目はすごい。 【Shiori】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2008-01-21 14:28:12) |
《改行表示》30.この女優さん、すごいんだろうけど、イマイチ好きになれず。 【にじばぶ】さん [DVD(字幕)] 4点(2007-09-03 16:22:02) |
《改行表示》29.《ネタバレ》 イザベル・アジャーニの、イカれた鬼気迫る演技は確かに凄い。 でも映画の最初っからアデルはおかしかった。おかしい女の挙動を痛々しく見せられて、ボロボロになったラストまで見せられて、確かにそこが美しかったと言えなくもないけど、鑑賞後にふと思ったことは、アデルは最初っからおかしかったってこと。それ以前があればまた違った印象だったんだろうけど。 【よし坊】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2007-07-01 21:37:26) |
《改行表示》28.《ネタバレ》 アデルがカナダに降り立つところから物語が始まるが、その前に、ピンソンとどのように知り合ったのか、もう少し知りたいと思った。こういう狂気に走るアジャーニの作品が大好きで、ぐいぐいと引き込まれて最後まで見てしまった。金にだらしない男で、他の女との現場も目の当たりにしているのに、なぜそこまで好きでいられるのかは理解できないが、彼女を取り巻く人たちが温かいおかげで、彼女が街角で野垂れ死にしなくて良かったと思った。人間は恋でそこまで狂うことができるものなのか。彼女が生きたのが現代なら、薬物治療で正気に戻せたのだろうか。正気に戻ったとしたら、彼女が何を話すのかに興味津々である。 【ぴこたん】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2007-01-23 12:32:25) |
27.イザベル・アジャーニ。精神に異常をきたした女性を演じさせたら、彼女の右に出る女優さんはいません。彼女の多くの主演作の中でも、ヴィクトル・ユゴーの次女を演じた本作品と「カミーユ・クローデル」は、ほぼ同時代に実在した人物が、次第にそして完全に狂ってゆく過程を見事に演じています。アジャーニの一人芝居と言っても良いような作品です。彼女は、最高の演技を残した作品を、最初の主演作で手に入れたのだと思います。トリュフォーの作品というよりも、アジャーニの作品ですね。全体的に色調が絵画的なのと、最後の独白(ナレーション)が妙に明るく希望に満ちているのはトリュフォーの演出なのかな。満点の作品です。 【ひよりん】さん [ビデオ(字幕)] 10点(2006-05-13 16:55:42) |
26.《ネタバレ》 イザベル・アジャーニはこういった危ない役がとても上手い。一途過ぎる想いが相手はおろか自分自身をも苦しめ、最後は精神病院へ。 【将】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2006-05-05 18:29:56) |
25.イザベル・アジャーニの原点であり、物語の展開は手に取るように分かりました。燃える様な想いもお互い何時変わるかも分からなく、人の心とはそういうものであり、理屈ではないその事を責めたり責められたりしても何も得るものがありません。愛されなくても愛するという一途な想いも、その想いの振りかざし方が肝心で、愛する気持ちが人を美しく、賢く、強く、優しくしてくれるはずなのに、醜く朽ちてしまったアデルは無残です。本屋さん、下宿のおばさんといった暖かい心の持ち主と接していただけに残念です。 |