139.《ネタバレ》 みんなで一人の美女を追い求める青春ラブ・ストーリーと、エイリアン・ホラーとのかけ合わせみたいな感じで面白いです。
ホラー映画において、いや、ホラー全般において、グロとエロとは切っても切り離せない関係がある。
この映画はもしかすると近年のB級エロ・ホラーの原点であり、おそらくはB級ホラーにおいてエロスとホラーとの架け橋であるように思われる。
もちろんホラーとエロスの関係は、ドラキュラやエイリアンなどで既にやられていたかもしれないのだが、この作品ではなんというかそれを包み隠さずストレートに、もしくはB級なやり方で、今後のB級ホラーにつなげていける形で作品にしたところに評価できると思った。
もちろん僕はホラー映画やその歴史にあまり詳しいわけではないので、この作品よりも前にそれをやっていた作品があるのかもしれないけど、それでもこの作品は伝説化されている作品なので、内容的にはB級であっても、名作といわれて良いと思う。
エイリアンと並んでギーガーのデザインを取り入れている点も評価できる。
「性欲は「怪物」だ、、、」というのを、ギーガーのグロテスク・デザインによって表現されている。
今の時代を予測したかのような「肉食系女子」ホラー。
半分がエイリアンのシル。彼女の美しさは完璧だ。
そんな彼女のエイリアン化した姿はちょっとグロい。美しさが崩れて腐った花のようだ。
まるで美女がヨボヨボのおばさんになったみたい。
それはまるで、「美女は若いうちはいい。しかしやがては醜くグロテスクになる」とでもいうかのように。
かつての美女が、もはや美しくはないエイリアンの姿で結婚を急ぎ、「赤ちゃんが欲しいの!」なんて積極的に来られたら、男は恐怖する。
彼女の「赤ちゃんが欲しいの!」という言葉の本当の恐ろしさは、“種”以外の父親の存在は不要であり、やがて排除されてしまうであろうから。
母親の愛は子供に注がれる。
男は恋してる段階では女を自分の物にしたいと思う。だが最終的に女に呑み込まれるのは男なんだと思う。
(以上、女性コンプレックス丸出しのレビューでした。)
(2011年の映画メモをもとにレビュー)