13.《ネタバレ》 昭和30年代初め、主人公・楯男が住む高知の田舎町は、人々が肩を寄せ合うように生きる、極めて濃厚な人間関係が充満する町だった。治安も性的モラルも高いとは言えず、シナリオライターを夢見る楯男にとっては何もない町に見える。
父親・清馬は近所の恋人の家に入り浸り帰ってこない。そんな父親との関係をあきらめた寂しさからか、その寂しさの代償行為としてか、母親・ときよの愛情は楯男に向かっていく。その愛情は、楯男には少しずつ重荷になっていく。
信用金庫の仕事には生きがいを見いだせず、木曜会と呼ばれるうたごえ運動で出会う涼子(竹下景子)に心を寄せても受け入れてもらえない。楯男は、まるで吹き溜まりのような町から、また、現状から逃げ出したいと考えている。
そんな中、大阪のキャバレーで働いていた近所の幼なじみ・タマミが戻ってきた。ヒロポンの打ち過ぎでタマミは頭がおかしくなっていた。性に奔放なタマミは、夜の浜で毎晩、楯男の知り合いも含めた若い男と寝ていた。楯男もある夜、タマミのところを訪れるのだが…。
今回の再観で驚いたのは、48歳の僕が、二十歳そこそこの主人公・楯男に感情移入していたことだ。
まずは仕事という観点から考えてみよう。シナリオライターを仕事にするには、当時ならば上京する道しかなかっただろう。映画会社の近郊に住みながら、そして、映画関係者と連携を取りながら勉強を重ねていくことが必要だったと思われるからだ。
次は環境面から考えてみたい。これはあらすじから容易に導き出せる。どちらかと言えばおとなしいタイプの楯男は、町の若者からは浮いた存在だ。政治への関心は薄いようなので、木曜会メンバーと気が合うわけでもなさそうだ。涼子とも深い仲になれそうもない。それどころか、涼子は、都会から来たオルグの青年に惹かれてしまったようだ。家庭も居心地がいいとは言えない。結局、楯男は孤独なのだ。地元を離れることへの抵抗は少なかっただろう。
楯男の場合は、将来の夢と現状から逃避したい気持ちが一致して、上京という行動を起こさせたのだろう。こうやって考えてみると、上京したいという楯男の気持ちは、環境と感情に裏打ちされたものといえる。これなら世代に関係なく感情移入できるかもしれない。
ところで、今回は楯男だけでなく、楯男の祖父・茂義にも感情移入してしまった。これは僕の年齢とも関係が深いように思われる。
頭がおかしくなったタマミはどんな男も受け入れる。関係を持った多くの男の中、茂義は心からタマミに惚れ、愛して可愛がる。周りは「いい齢をして」と眉を顰めるが、誰の子を孕んだか分からないタマミの面倒を、新たな生きがいを発見したかのように見るのだ。女としてのプリミティブな魅力を持つ、若いタマミが明るく振る舞えば、年配の男はいちころであろう。中年となった僕には、その気持ちがよく分かってしまうのだ、ちょっぴり悲しいけれど。
一人で映画『南国土佐を後にして』を観た後(分かりやすい象徴的なタイトルだ)、楯男は涼子に声をかけられる。ダンスホールへ行った後、二人は宿泊する。オルグの青年と寝たと告白する涼子は、その傷を埋めるように楯男を求める。据え膳を食う形となった楯男だが、以前のような、涼子に対する情熱はない。宿直先にも夜這いに来る涼子。清純で聡明なはずの彼女も、欲と本能に流される人間だったのだ。宿直室が火事になってしまい、涼子が来ていたことが信用金庫の上司に知られてしまい、叱責される。これで楯男は、涼子への気持ちを無くしてしまったのだった。上京の動機へのダメ押しが成されたのだ。
ある朝、普段通りに家を出る楯男。飼っていたメジロを逃がし、あらかじめ隠しておいた荷物を持ってそのまま東京を目指すため駅へ向かう。駅にはタマミの兄・利広(原田芳雄)がいた。強盗殺人を犯し逃亡中だったのだ。利広は楯男に金をせびるが、楯男がこれから上京すると知り金を返す。利広に駅のホームで見送られ、楯男は上京への一歩を踏み出す。「バンザーイ」と見送った利広だけが、結局、楯男の上京を祝福してくれたのだった。
書いていて、目頭が熱くなってしまった。利広は、素行が乱暴で兄嫁にも手を付ける、どうしようもない男だが、最後に、本作を観ているこちら側は、彼を憎めない奴、いい奴だと感じてしまうのだ。この人物観の逆転もこの作品の魅力なのだろう。
最後に、ここまでの感想からこぼれ落ちてしまった本作の印象を書いておきたい。本作は男の世界だ。下品で猥雑、そして田舎の共同体の濃密な空気が充満した雰囲気。苦手な人もいるかもしれないが、僕はそこが大好きだし、何とも言えない心地良さも感じる。もしかしたら観る人を選ぶ作品かもしれないが、普遍的な青春を描いた傑作映画だと僕は思う。