156.《ネタバレ》 ブラスバンドが、あの街・あの共同体にとって、何らかの前向きな感情を与える
「求心力」に昇華して欲しかったと強く思いました。
一瞬そのような雰囲気にもなるのですが、監督の自制が良く効いており、
感情の発露は望むべくもありませんでした。
「優勝・恋愛・家族の再生」という晴れがましい表面上の結末と、
「炭鉱閉鎖・集団失業」という絶望的な境遇。この落差が、「痛い」映画となっていたのでした。
ロンドンの街をオープンバス(?)に乗って「威風堂々」を演奏するラストに至っては、
まるで「威風堂々」がこれから始まるコミュニティ解体の葬送行進曲のように、
オープンバスが経済的破綻の末の「巨大な共同棺桶」のように思えてなりませんでした。
先日、「三井三池炭鉱」の廃坑以後を丹念に追いかけた写真展に行ってきました。
炭鉱という、たった一つの産業が崩壊した点で、「ブラス!」のあの街と同じであり、
いわば「ブラス!」以降のあの街を擬似体験してきたわけです。
写真展に、こんな作品がありました。
「見晴らしの良い丘にたつ墓地。その背景に広がる大規模工場。」
工場はかつて、全面的に石炭に依存し、その供給を支えたのがこの墓地に眠る人々だったのでしょう。
無情にもシステムを乗り換えた工場は今なお稼動し、片や時代遅れの墓がポツンと置き去られている。
写真家はこんなコメントを残しています。
「炭鉱で繁栄していたことを恥じるように、この街は死んでいった。炭鉱で働いていた過去を
消し去るがごとく、人々は姿を消した」。
そうなのです。「ブラス!」の街は「三井三池」の街と同じく、社会的インフラを剥奪され、
人的コミュニケーションも崩壊し、経験や感情が継承されない「共同体の廃墟」へと
朽ち果てていくことになるのです。(その象徴的な存在として「忘却された墓」が僕の脳みそを
直撃したのでした。)
このコミュニティ解体による惨状を写真家は凄まじい執着で訴えかけてきます。
そう。彼もこの街で生まれ、多感な少年時代を過ごし、出ていった一人だったのです。
「ブラス!」と「三井三池」。九州とヨークシャー。時空を超えて感情が「バチバチ」とリンクした。
《遠く離れた地で、少年たちはこの「街」を思い出すことがあるのだろうか?
ダニーが「眠る」墓は、はたしてどんな風景を見おろすことになるのであろうか......。》