205.《ネタバレ》 原作を久し振りに読み返した勢いで、本作も再観賞。
「謎の部屋に十年以上も監禁されていた主人公が、犯人の正体と目的を探ろうとする」という粗筋こそ共通しているものの、基本的には全く別の物語であり、しかも原作も映画版も両方面白いっていうんだから、中々珍しいパターンですよね。
自分としては「犯人の動機が詩的で味わい深い」という理由で原作の方が好みなのですが、映画版も間違い無く快作だと思います。
そもそも「原作の方が好き」という立場の人間としては「この映画が面白いのは原作のお蔭だ」と主張したくなるんですけど、本作の場合、それを言うのはかなり無理がありそうなんですよね。
犯人の人物像や、動機も全然違っているし、何より映画版の方が「憎たらしい悪役」「ショッキングで分かり易い動機」になっている。
多分、原作通りに映画化していたといたら、ここまで大衆受けはしなかったんじゃないでしょうか。
それだけ、この映画のオリジナル部分、独自の部分が優れているって事なんだと思います。
主演のチェ・ミンシクは男臭い魅力があって良かったし、ヒロイン役のカン・ヘジョンも可憐な雰囲気がたまらないしで、キャスティングも絶妙。
その他にも「脱獄が成功しそうな直前に釈放される」というシニカルな脚本、ハンマーを手に大立ち回りを演じる場面での、泥臭いのにスタイリッシュなカメラワークなど「映画版独自の魅力」を感じさせる場面が沢山あったんだから、お見事です。
……ただ、一つだけ。
「犯人の動機については、原作の方が絶対に良かった」っていう事に関してだけは、どうしても譲れそうにないんですよね、自分の場合。
確かに原作の時点で「催眠術を便利に使い過ぎ」とか「犯人のやり方が遠回り過ぎ」とか、色んな欠点があるって事は分かるんです。
それでも、最後に明かされる真相「わたしの人生に《他者》は存在しなかった……」「生涯で、おそらくキミだけが、わたしの”孤独”を……」という悲しい独白には、非常に胸打たれるものがあって、忘れ難い余韻を残してくれるんですね。
自分が久し振りに「オールド・ボーイ」に触れようと思った際、映画版ではなく、原作漫画を先に選んだのも、やはりこの「真相」の差にあるんじゃないかと。
で、以下は映画版に関する文句というか、難癖になってしまうのですが……
「孤独」ではなく「近親相姦」をテーマにした本作に対しては、抵抗も大きかったりするんですよね。
それは何も「近親相姦はタブーだから、見るのもおぞましい」とか、そんな理由じゃなくて「犯人像を変えた事により、不自然な点が生じている」のが気になっちゃうんです。
まず、原作の場合は「犯人を殺して復讐する事より、真相を知りたい好奇心を優先させてしまう」のも納得なんですが、映画版に関しては、そうじゃない。
なんせ原作の犯人と違って、映画版の犯人は主人公の妻を殺してる訳ですからね。
この時点でもう破綻しているというか「私を殺したら真相は分からず仕舞いだぞ」と原作の犯人同様に挑発してくるイ・ウジンという存在にも、それに従う主人公にも、感情移入出来なくなっちゃうんです。
(いや、真相を知りたい気持ちとか優先させてないで、妻の仇を取れよ)と思えちゃって仕方無い。
また「俺は確かに獣にも劣る人間だが、生きる権利はあるんじゃないか」という台詞が印象的に使われている訳だけど、その台詞を最初に吐いた男を主人公は見殺しにした形なのも気になります。
死者の台詞を剽窃する形で、自分だけは特別と言わんばかりに「生きる権利」を求められても、勝手な奴だなぁとしか思えなかったです。
そんな訳で「映画オリジナルで面白い部分」「原作と違っているがゆえに不満がある部分」が、どちらも強烈な光を放っており、何とも評価が難しい本作品。
面白かったし、観て良かったと思えたのは確かなのですが……
諸手を挙げて「好きな映画」とは言えない、そんな引っ掛かりの残る一本でした。