187.《ネタバレ》 “映画”とは何か?チャールズ・チャップリンである。
そう言い切ってしまいたいほどチャップリンの映画には子供の頃から惹かれ、引き込まれ、笑い、ワクワクし、泣かされてきた。それくらいチャップリンが大好きだ。
俺は「モダン・タイムス」の方が好きだが、この作品も二度見て、いや見れば見るほど新しい感動に包まれる最高の映画だ。
特に終盤、吹き矢の子供が二人の男女をめぐり合わせる“悪戯”なんてもう。あの瞬間ほど「ハッ」とする場面は無いと思う。
チャップリンは花売りの少女から希望という“灯”を貰うし、チャップリンも少女のために我武者羅に働いて彼女の心に瞳という“灯”を授ける。一輪の花と手の温もりが、見えない筈の闇を照らす。
自分のためでなく、誰かのために命を賭けて生をまっとうする・・・素敵じゃないか。
冒頭から街の銅像の式典、その銅像の上でいきなり爆睡するチャップリンの登場からして面白い。
路上で出会った花売りの少女。彼女の眼が見えないという事を身振りと「お拾いになった?」の一言で理解できる。サイレントなのに男がドアを閉じる音が聞こえてきそうな場面だ。
チャップリンは完璧な像よりも本物の人間に惹かれていく。放っておこうと思っても見捨てられない情は赤子を拾う「キッド」といった作品を思い出す。
誤って水を浴びせられても文句を言わないチャップリンは英国紳士の鑑です。
眼が見えなくても生きている人間もいれば、事情は知らんが人がいるにも関わらず自殺を図ろうとする人間もいる。それを見守るように輝く街の灯。以前のチャップリンの短編なら水に落ちたらそれまでという話も多かったが、この映画は底から這い上がり次に進む事を選択する。
少女と再会したチャップリンは少女に誓い働いて働きまくるが、どれも失敗続きで中々上手くいかない。
総てをかけたボクシングシーン。幻に見る女、惚れた女の未来が懸かるたった5分。
それまで積み上げられたドラマ、それがあっと言う間に弾けていく避け合い、殴り合い、ゴングに振り回されるファイターたち。レフェリーは彼らの踊るようなボクシングに振り回される。
最後までチャップリンに恩を仇で返してしまう男は或る意味一番不幸。