54.《ネタバレ》 俺が「キサラギ」を見直し再評価するキッカケになった映画。
70年代風のスポーツ映画・・・いやTVドラマの感触。
人間の善良さを信じぬく物語に、我々は何処か懐かしさを覚えるのだ。どの世代にも関係なく。
毎回凝ったOPの佐藤裕市、簡単な自己紹介。
撮影は「キサラギ」でも組んだ川村明弘。
未来への不安、悲惨な人生想像、それを中断するように飛んでくるカーリングのブラシ。
劇中で幾度も画面を横切る自転車、軽トラ。少女たちは車をコントロールするようにカーリングの石を滑らせ、走らせていく。
「キサラギ」同様にアイドル(偶像)・憧れに誘われる主人公。「キサラギ」と違い最初からハッキリと映されるアイドル。
「キサラギ」に振り回される男たち、「シムソンズ」のために団結する女たち。
他に何も無い、何もないからみんなカーリングに熱狂し、何もないから勉強して現状から“抜け出そう”とする。
主人公も先輩への“憧れ”しかなかったから見栄を張ってしまう。
そんな何もないからこそ一つの事を徹底的に極める人々、それを追うメディア。
ブラシで擦るのは牛舎を綺麗にするため、石を走らせるため、己の未来を拓くため。
いつの間にか揃っていく面々、分かりやすいカーリング講座、「simsons」のゼッケンで自分を飾る。
シンプソンズ(The Simpsons)。とシムソンズ(simsons)。彼女たちはオリジナルの「シムソンズ」になれるのかなれないのか。
鏡に映るコーチ、憧れが遠のいていく現実、石に振り回される面々。
手に書いて覚える“勉強”。でも机と向き合い自分を偽る勉強とはワケが違う。
ワンマン少女、農家の少女、ずうずうしい少女、挨拶は「最低」の勉学少女。
それぞれが石で打ち砕きたい現実を抱え、嘘をつき続ける。
対照的に現金なコーチは自分に嘘をつけない。ホタテ漁に打ち込むのは幼い子供のため、誇れる“恥”をかいたのも仲間の名誉のために。
正直者と嘘つき少女たちの邂逅。
幾度も響くゼロ(0点)の言葉、丸い形。
ブラシを奪うのは人質にするため、たまねぎを切るのは女を泣かすため、声を出すのは自分を鼓舞するため、資金を集めるため、警察の手から逃げるため。
少女たちが走れば石も氷の上を走る走る走る。
ド素人もプロもイチからミッチリ訓練、木に刻まれる“目標”。
氷職人の超カッコイイ丸投げ、トイレのドアで練習、授業中も脚を動かさずにはいられない。
一応挨拶と握手はするようになる司令塔さん。彼女が“一線を越えた”のは自分のためか「1点」を目指す他人のためか。
やっと不平不満が爆発する。
「ずうずうしい!」という言葉のブーメランの投げ合い。
悪役に徹するホワイトエンジェルズ。名前と正反対の漆黒のユニフォーム。
表情が活き活きしたシムソンズに対し、エンジェルズの面々の表情の暗さは何なのだろう。
監督は何故、藤井美菜のような女性をエンジェルズ側にもキャスティングしなかったのだろう。エンジェルズがミキに嫉妬しているような側面も感じる。
ミキの過去がコーチの出した写真と記事だけで語られるだけ。ミキもあまり自分の過去は語らなかった。
ミキは言葉ではあまり語らない。
放り投げられたコインに思わず走り出すような、行動で示す女性だった。海の中に躊躇無く脚を入れるのだから。やはり他人のために頑張ってしまうタイプの女の子だった。
勝つ前の1点・勝つための1点。笑顔でエールを送る。
身を引き締める衣装と刺繍、大事なものを譲り合う女たち。初雪、ミキの選択、緊張をほぐす笑顔。