1.《ネタバレ》 みどころはトニ・コレットとグレッグ・キニアの壮絶夫婦ゲンカ…です。そのあとにオマケもあるわけですが、壮絶夫婦ゲンカに〝オマケ〟をつなげるところが、この作り手は「わかってる」なあと思わせる。
長谷川眞理子先生によると、ヒトのオスの睾丸は「一夫一婦制」を営む他の哺乳類と比べて少し大きいそうなので(体重における睾丸の重さの比率で比較)、ヒトというのは必ずしも一夫一婦制で生きてきたわけではないらしい。かといって、ライオンのような「グループ内乱婚」タイプよりは小さいらしい。「睾丸が少し大きい」ということは、「事情が許せば同時期に複数のメスと交尾が可能である」ということであり、「事情が許した」時のために、大きめの睾丸を維持しているということになります。
なぜこういう話をするかというとー、この二組の夫婦が倦怠期に迎えた状況なり辿ったそれぞれの道と、眞理子先生の話が関係あると思うからです。というか、それが根本的な原因なのではないだろうか。
若い女に乗り換えたトムはもちろんのこと、一見妻とラブラブで問題なしに見えるゲイブですら、何かをまぎらわすために「ピアノを初め」たりしています。何をまぎらわすのか。「大きめの睾丸」を維持しているがゆえの〝何か〟なのでしょう。
そして、本能に従って自由に生きることに決めたトムに対するゲイブの視線には、「羨望」が1%も混じっていないと言えるだろうか。どんなに妻を愛していても、更年期を迎えた妻と〝だけ〟この先一生セックスしなければならないことに、彼の「大きめの睾丸」は納得がゆかないわけです。
ゲイブとカレン夫婦は「自分たちの幸せを彩る小道具のひとつ」としてトムとベス夫婦を認識していたのですが、こうなってはじめてそのことに気付きます。トムの裏切り、そしてベスにも隠していた不倫歴があり、自分本位で友人を幸せの小道具扱いしていたことの愚かさ、に気付きます。
結局この先信じられるものは夫婦であるお互いしかないのね…というところで話は終わるわけです。
洗練された作品だが、トニ・コレット以外のキャストに不満が残る(それじゃほとんどだけど)。
軽めの脇役として活動してきたキニアは、これほど重要な役をまかされると役不足を感じる。
しかしあの4人の写真は誰が撮ったということになるのか?