6.《ネタバレ》 この映画のテーマはズバリ「A BRAND NEW DAY」。
ヒロインは、幼い頃に母や姉妹を殺され遺児となった成人女性だ。
痛ましい事件を経て、さぞトラウマを抱えて繊細で弱々しい女性になっているかと思いきや、自分にも他人にも心を閉ざし攻撃的な性格で、寄付金頼りで仕事もせず自堕落な生活を送っている・・・という意外性で冒頭からグっと引き込まれた。
彼女は寄付金が減ってきた対策として、世間が自分を思い出し寄付金が増えたり印税が入る事を期待して自叙伝を出版していた。
だが本は売れず、金の集まりも悪い。
後見人は「世間は忘れっぽいし、新しい殺人事件で遺児がいるし、君はもう大人だ。」と解析するが、実はそうではないところが、この作品をただの”陳腐な殺人の真相ドラマ”ではないものに仕上げている。
では本はなぜ売れなかったのか?
彼女が書いた本のタイトルは「A BRAND NEW DAY」(新たな日)。
しかしそれは彼女自身が自分の言葉で綴ったものではないと、殺人クラブで軽く告白している。
彼女自身が、本当の意味で過去を清算し、自分の思いを赤裸々につづった自叙伝であれば、ある程度売れたはず。そこに心に響く言葉があるはずだから。
しかし寄付金目当ての他人の言葉による中身のない自叙伝。売れなくて当然だ。
殺人事件から30周年になる区切りとして出版した自叙伝なら、著者自身も自らのトラウマをカタルシスすることで、心をオールクリアし、新しい人生をスタートする区切りにもなる。
しかし「A BRAND NEW DAY」と高らかな宣言をしながらも、彼女の心の闇(ダークプレイス)の中では、けして「A BRAND NEW DAY」はスタートしていないのである。
ところが見返りの金をもらうために真相を追った結果、犯人とされていた兄の冤罪の判明と和解。
そして憎しみと恨みによって痛みだけで生きてきた彼女が「ベンだけが学んだ。”許す”ということを。」と気づいた時に、初めて彼女はベンを、彼女を殺そうとしたディオンドラの娘を、そして何よりも自分を許すことができた。
それにより殺人事件とその後の屈折した人生にも区切りがついたのである。
兄の釈放の前の面会の後、車を運転している場面。ディアローグの最後の台詞は心地よく心にしみる。
「I know I start.」。
かつて偽りの A BRAND NEW DAY ではなく、本当に心の底からの変化によってもたらされた、真実のA BRAND NEW DAYが、彼女に訪れたことを彼女は客観的に確信したのだと感じさせる、重みのある一言だ。
サスペンスやミステリーに家族問題や思春期の恋愛をからめながら、ヒロインの新たな人生の始まりまでを描く、一本筋の通ったこの作品は、テンポ、シナリオ、後味もよく、何度も見たくなる秀作である。
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ところで、罪人を”許す”というキリスト教の教えを、よりによって悪魔崇拝に興味を持っていたべンが誰よりも守っていたというのは、皮肉で面白い。
結局、誰もが想像する以上にベンは純粋な青年だったのだ。
さらに、一回見て面白かったので二度見たら、ベンの幼女猥褻疑惑を心配して母親が彼の部屋を捜索して彼のノートをペラペラとめくる場面で、彼の純粋さをもう一つ発見。
美術が得意な彼らしく悪魔のイラストが上手に描かれていた最後のページに、
”ヘザー、ニコール、クリスタル、クリシー、クリシー、クリシーデイ”
と書かれていたが、一回目で見た時は内容をしっかり理解できていなかった。
自称被害者でベンにフラれたクリシーの名前があったので「母親はベンが襲った幼女のリストアップだと思ってガーンってなったんだな」程度でスルーしてしまい。
しかしあれは、ベンの”赤ちゃんが女の子だったらつけたい名前リスト”だったと、二度目で気づいた。
なぜなら日本語字幕では省略されていた”クリスタル”という名前が、後で登場するベンの娘の名前としてつけられていたから。
その上で再度そのリストを読み解けば、最後に書かれていた「クリシー、クリシー・デイ」というのも
「クリシーは年下すぎて犯罪になるから恋人にはなれなかったけど、もし赤ちゃんにクリシーって名づけたら?ボクの名字とくっつけて、クリシー・デイ・・・うん、わるくないかも?」
みたいな気持ちで書いたものだったと分かる。
自分の気持ちを抑えてきたけど、心の中ではやっぱりずっと好きだなんて、ピュアすぎるよベン。
しかもひっかかる女がみんな金持ちヤサグレ娘ばっかりだなんて、ピュアもいいとこだよベン。