《改行表示》13.《ネタバレ》 フランコ・ネロ(若い!)からフェルナンド・レイに舞い戻るカトリーヌ・ドヌーブの心中が理解出来ない。 私には哀しみのフェルナンド・レイに思えた作品です。 献身的な女中さんの存在感が印象深いところです。 |
12.《ネタバレ》 変態ブニュエルと悪魔的魅力を放つドヌーブのコラボ作の二本目(一本目は昼顔)。始めは弱い立場の女性が支配者になる「女は怖い」映画の代表作。全編、谷崎潤一郎的なな美学に満ち溢れた映画です。理詰めで映画を解釈する人には、わからん映画でしょう。昼顔よりぶっとんでいます。鐘釣堂の首シーンなど、びっくりするやら唖然とします。脚フェチのタランティーノも足元に及ばない映画。ブラボー!ブニュエル。ドヌーブ万歳。最後も、唐突の終わり方で、見ている人を煙に巻きます。楽しい変態映画。 【にけ】さん [映画館(字幕)] 9点(2018-12-21 14:04:35) |
11.トリスターナの変容ぶりがすごいというか、ドヌーヴの悪女ぶりがすさまじく、終盤のロペが痛ましく辛い。ドヌーヴのスペイン語というのも珍しいと思ったが、合作映画だからなのか。 【ESPERANZA】さん [DVD(字幕)] 6点(2013-12-05 19:52:18) |
10.鐘の鳴り響くなか、おしの少年たちのサッカー(脚の競技)と、普通なような異常なようなブニュエルの世界に入っていく。フェルナンド・レイが、特別卑しい人間なのではないが(世間では立派な人間で通ってる)、内側を知る人間(たとえば姉)にはだめなわけ。かすり傷で勝負がつく決闘には激怒し、少年のコソドロをわざと逃がしてやったり、「偽善者」という分かりやすい分類では捉え切れない男。「茶番よりは悲劇がいい」と言ってて「悲劇的な茶番」になってしまう最期。ヒロインは自分で決めた散歩道に入ったとき、実質的に脚を奪われていく道にも入っていったってことなんでしょうな。廊下で繰り返し松葉杖を響かせる「散歩」に凝縮していく。そしてラスト、突然時間の流れが一方向から解放されたように、ファーストシーンへ向けて逆流が起こる。最初はヒロインが回想してるフラッシュバックかと、ブニュエルらしからぬことやってるな、と思ってると、それが止まらず、なんだなんだ、と思ってるとFINに行き着く。これ一回きりしか使えないアイデアでしょうが、単なる趣向じゃありません。あのときああしてれば(あのとき殺してれば)という後悔がヒロインの胸に押し寄せてきたところと見たが、どうだろう。それぞれの瞬間に、もう一方の道を閉ざしてきたわけで、しかし彼女は「自ら選ぶ誇り」も自覚してきた女であって、そういったもろもろ「これでいいのよ」という気持ちも感じられ感動です。私はこのように生きてきたという確認。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 8点(2013-07-16 10:02:41) |
9.昼顔のような説得力にはかけるが、こちらのほうがブニュエルらしいエロは堪能できる。ただ、私もどうもカトリーヌドヌーブは、好きではない。 【みんな嫌い】さん [DVD(字幕)] 7点(2011-04-11 04:02:58) |
《改行表示》8.カトリーヌ・ドヌーヴはやっぱり骸骨に見える。 しかも本作では、その美脚を披露することもない。 話としてはそれなりに楽しめるし、映像も綺麗だ。 しかし、全体的に少しずつ物足りない。 全ての面において、何かが欠けている。 つまり中途半端なのだ。 話としてはかなり過激な部分を含んではいるが、少し描き方が上品すぎる。 フランス映画的と言ってしまえばそれまでだが、もう少し工夫が欲しいものだ。 【にじばぶ】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2008-07-13 17:36:35) |
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7.養女に手を出さなきゃ、尊敬されて幸せに終わったであろうに・・・女は怖い、男は弱い。 【トント】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2008-05-20 21:01:38) |
6.《ネタバレ》 恐いなあ!もしも、自分がドン・ロペと同じように立場でいたらと考えると、本当に恐い。ただただ自分よりもかなり若い女に惚れて、愛して病まずにいられなかっただけで罪はないと思うのに、何も出来ずに殺されてしまうドン・ロペ、可哀想でなりません。一方で女の恐さ、それをあの美しい顔つきからは想像出来ないほどの恐さを見せつけるカトリーヌ・ドヌーブの女としてのやるせなさみたいなものに何か不気味なほどの恐さというものを感じられずにはいらない。カトリーヌ・ドヌーブが口の利けないもう一人の男に窓ごしから裸を見せつけるシーンでのあの不気味なまでの顔付き、足を病気による切断を余儀なくされたカトーリーヌ・ドヌーブ演じるトリスターナが弾くピアノ「革命」に人間の運命のようなものを感じると共にピアノの下から足だけを写すそのいやらしさ、足フェチである言われる監督の足に対する拘りを感じるのと、あの不気味なまでの鐘の音、本当に恐い恐い、愛なんて無い本当に恐い女を見せつけられた思いです。 【青観】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2007-10-26 21:19:22) |
5.女性の魅力と恐さと(同じ物かもしれないが)を存分に堪能させられました。人生とは「どんでん」なり。 【馬飼庄蔵】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2005-08-18 20:15:27) |
4.清純を絵に描いたような可憐な少女トリスターナと冷酷な悪女と化したトリスターナ。ふたつの顔を見事に画面に残したブニュエル+ドヌ-ブが素晴らしい。ひとつひとつの画にいろいろなことを暗示させるブニュエルの傑作。二つに分かれた道でどちらに進むかをトリスターナが自信たっぷりに選ぶシーンは、道の先での狂犬病の犬騒動でその後の彼女の悲しい運命を予感させるとともに、後半、個人主義を貫くドン・ロぺを夫としては認めなくても父としては認めるというセリフに繋がり、養父ドン・ロぺの思想を受け継いでいることを象徴している。だから結婚制度を嫌い教会を下げずんでいたロぺの、結婚を望み教会へ足を運ぶという行為はロぺ自信が自己を否定するにとどまらずトリスターナをも否定する行為となってしまう。後戻りのできないトリスターナにとっては許されない行動となる。後半の赤子を見るシーンは前半の赤子を見るシーン(家族を否定するロぺに口答えする)に観客の頭の中でフラッシュバックさせ、「こんなはずではなかった」と哀しみに暮れるとも開き直りともとれるトリスターナを映し出す。しかし自分で決めて自分で行動する個人主義に生きながら、不幸の責任は自分には無く諸悪の根源をドン・ロぺと考えるトリスターナの存在そのものがこの作品の中で一番哀しいものとして描かれている。 自分に都合の良い信仰心、自分に都合の良い無神論、自分に都合の良い家族主義、自分に都合の良い個人主義、、、人間の哀しい性で溢れている。 【R&A】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2005-04-27 17:39:23) |
《改行表示》3.《ネタバレ》 どのように撮ったのか全くわからない。ドン・ロペの生首、片足のドヌーヴの撮影トリックには舌を巻くしかありません。本当に想像もつかない。その映像テクニックにドヌーヴのリアルな演技がかみ合って実にリアルな映画に仕上がっています。 話の前半は、養父である筈のドン・ロペが「私はおまえの養父であり夫である」などと言ってトリスターナを束縛し、都合よく体を求めてきたりと息苦しさが伝わってくるような毎日。画家と結ばれて好転すると思いきや、病気を患い再び元の家に戻ってきてしまい、後半に入るとトリスターナの人生はますます転落していくのですが、圧巻なのは、ドン・ロペがホットチョコレートを飲んでいる間のトリスターナの廊下の往復シーン。ドヌーヴの表情を執拗なまでに何回も見せているところがとにかく気味が悪い! この表情も不気味で不気味で仕方ないのですが、街中で車椅子に乗っているときにその隣を乳母車が通り過ぎると、自分自身も乳母車の中の赤子のような気分になり、見せる屈辱の表情。そして、口の利けない若者に自身の裸体を晒したときの表情には思わず息を呑みます。 タイトルは“哀しみのトリスターナ”なのですが、実は哀しむべきはもう一人の登場人物ドン・ロペではないかという見方もできると思うのであります。というのは、この映画が作られたのがブニュエルが70歳の時。しかも、彼自身も無神論者とのこと。と言うことは、この映画のドン・ロペはまさにブニュエルそのものである、という解釈も可能なわけです。私は、彼は原作の中のドン・ロペに自らと共通する何かを見出し、映画の人物設定にも自分自身の姿を組み込むことにより自らの苦悩を描き出したのではないかと思いました。この映画にとても自虐的でマゾヒスティックな一面をブニュエルのプロフィールを見てから感じました。 【もっつぁれら】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-04-25 22:46:26) (良:1票) |
2.途中で少し眠くなりましたが、最後まで観てよかった。ただ話としてはかなり単調で、映像のよさでカバーしてる感じがしました。 【患部】さん 5点(2004-05-06 16:00:07) |
1.女と不幸と足に執着するルイス・ブニュエルの作風の中でも、カトリーヌ・ドヌーブの美貌が異常なまでに輝きを見せる最高傑作。男性の従属物として養われることでしか生きて行けない古い時代の圧倒的な価値観の中で、あくまでも尊厳を保ち続ける一人の孤児の生涯。受動的でありながら精神的に隷属せず、自嘲的になりながらも自棄にはならない、孤高の美女トリスターナの姿に人は究極の女性の強さとしたたかさを見る。誇り高き貴族として社会から尊敬を集める紳士ロペは、養女トリスターナに対しても理想的な養父でありながら同時に彼女の美貌に翻弄される弱さをあわせ持ち、その老醜を嫌悪して一度は若き画家と駆け落ちしながらも片足を失うという無残な姿で戻って来た彼女に対し、地にひれ伏してその愛を乞うのである。権威の失墜、愛の呪縛に翻弄される老人、美醜と相反して力関係の逆転する支配者対被支配者の関係の中に、人間の感情の持つ様々な矛盾、執着が人間に負わせる従属の悲しさ、ひいては人間という存在そのものの惨めさを、美と富の密室で展開される男と女の「生活」というミニマムな環境に凝縮させて描き切り、なおかつ彼らに象徴される背後にあるものの存在の大きさを様々な比喩や余韻で雄弁に語らせることにも成功している。「女の一生」的な興味本位での見方でも充分楽しめる仕立てになっており、映像としての美しさ、ドヌーブの美貌の鑑賞的価値の高さも幅広い層に満足の行くものであると思われ、1から10まで幅広い尺度から楽しめる作品として、この時代のヨーロッパ映画の中では個人的に特に好きな作品でもある。 【anemone】さん 10点(2004-01-24 11:58:50) (良:1票) |