8.《ネタバレ》 ギャング映画の中では『ゴッドファーザー』の次に好き。
4時間近い長尺なのに、最後まで引き付けられる。
ヌードルスの青年~老年期を演じたデニーロはさすが。
それに比べて、デボラ役のエリザベス・マクガヴァンは見劣りする。
少女時代を演じたジェニファー・コネリーは、イメージぴったりだったのに。
音楽もいい。優雅な「アマポーラ」とエンニオ・モリコーネの切ない調べが胸に響く。
音楽も相まって若き日々へのノスタルジーを誘う。
ゴミ清掃車のくだりが、こねくりすぎてわかりにくい。
もっとすんなり落とすような話にしてほしかった。
ヌードルスが阿片でトリップして笑うラストシーンが印象的。
こちらも捻ってはいるが、まだ腑に落ちる。
つらすぎる現実から目を背けて、楽しかった頃に逃避しなければいけないほど、ボロボロになった姿が浮かび上がる。
ヌードルスはいい時代の思い出だけを拠りどころに、なんとか正気を保ってきた。
だから、マックスの告白した真実を今さら認める必要はなく、撃たなかったのだろう。
ヌードルスにとって、マックスはベイリー長官ではなく、あの銃撃戦で死んだ親友なのだ。
このとき流れる「イエスタディ」が、良き時代への郷愁を表している。
惜しいのは、マックスが仲間を裏切る動機が、いまひとつ説得力をもたないことか。
いくつか伏線は張ってはいるけど、それでもまだすっきりとはしない。
『ゴッドファーザー』との比較でいうなら、『ゴッドファーザー』のほうがわかりやすい。
描き方が素直なので、解釈が分かれる部分もない。
その点、本作は変にこねすぎた嫌いがあって、すぐには理解しづらい箇所がある。
また、時系列が少年期、青年期、現在と行きかうので、少し混乱する。
ただ、見直すと、初見では気づかなかったセリフや表情を確認できる。
冒頭で、ヌードルスがファットモーの店に戻ってきた場面。
「時計の鍵を返しに来た」
あの時に止まっていた時間が、再び動き出す。
そこからラストに至るまで、無駄なシーンがなく、いたるところに伏線が張られているのに気づく。
ところが、最初の劇場公開では、監督の意向に反して、製作サイドの都合で無残にハサミを入れられたとか。
計算されつくしているのに、それでうまくつながるわけがない。
監督は不本意な編集を不服とし、後に自らの手で完全版を出した。
作り手としての意地と執念が結実したことに拍手。