《改行表示》81.《ネタバレ》 “King Kong”『コングの王』…としときましょうか。なんかコングって、ゴリラとか猿とかの意味かと思ったら、クーパー監督の創った新しい言葉のようです。もっとも91年も前に創られた言葉なので、キングコング=巨大な類人猿として、世界中で認知されていると思います。 オープニングのキャストクレジットのあとに“AND KING KONG (THE EIGHTH WONDER OF THE WORLD)”『世界八番目の不思議』とあります。髑髏島にはキングコング以外にも恐竜や巨大なヘビが出てきて、これらも充分にワンダーな存在です。世界がまだまだ謎に包まれている感が感じられて、なんだかワクワクしますね。 島に向かう船上で、デナムが美女と野獣のドレスを纏ったアンを撮影。何かを見上げ、驚き、恐怖して、目をそらし、叫ぶ。それを見学していたジャックが真顔で「何を見せるつもりだ?」アンもジャックたち船員も、この先に待ち受ける恐怖を知りません。もうこのシーンで、デナムが撮ろうとしているモノの巨大さと恐ろしさが伝わります。そして実際のキングコングと遭遇した時のアン。両腕を縛られ、大声で叫び、身をよじって逃げようとするアン。船上の演技の恐怖と、本当の恐怖の対比が巧く出てました。 恐竜とかの出ない'76年版は、小さい頃からテレビで流れていて観ていますが、オリジナルは今回が初めて。“コングの造形や特撮技術の素晴らしさ”については、皆さんのレビューをご参照頂くとして、“アンとコングの関係”について書いてみます。 意外だったのは、コングが命がけで執拗に追いかけた美女・アンにとって、コングは最後まで恐怖の対象だったことです。 アンを恐竜から守ったり、デリケートに(言い換えればエロく)衣装を脱がしたりと、私のイメージ通りの心優しいコングなんですが、アンは終始、コングを恐れていましたね。恐竜から守られたときも、ニューヨークで見世物として縛られたコングを見たときも、アンはコングに愛情に類する感情を見せません。飛行機に撃たれ、経験したことのない痛みに死を覚悟したコングが、一度アンを抱き上げ、すぐに優しく降ろし、お別れの意味だろうか軽く撫でる。ここでさえ、コングの最後の時でさえ、アンはコングを見ていません(そう観える)。この時代に制作陣は、これだけ表情豊かなモンスターを産み出したのに、対する美女アンには、意図的にコングに心を開かない演出を選んだことが、ショックでした。 でもだからこそ、最後の「美貌が野獣を仕留めたんだ」が活きてきますね。キングコングってモンスターは、男の性欲の象徴だったんじゃないでしょうか?だから変な話、コングが数あるビルの中から一番高いエンパイヤステートビルを選んだのは、恐らくアレですよ、あのビルが、一番雄々しくいきり立ってるからですよ、きっと。すみません。 アレだけ愛しても、守っても、追いかけても、決して振り向いてくれない美女アン。女の美しさの虜になったら、キングコングでさえ命を落とす。そんな、美女を見れば一目惚れしてしまう、世の全ての男への、教訓なんじゃないでしょうか? 【K&K】さん [DVD(字幕)] 7点(2024-10-01 21:01:17) |
80.《ネタバレ》 全怪獣映画のまさに始祖にして頂点、これが1930年代に撮られた映画だというのは信じ難いぐらいです。ストーリー自体はあまりにも有名で、南海の孤島に怪獣が生息していて文明社会にまで遠征して大暴れするというプロットは東宝特撮などの日本製怪獣映画の定番となりましたが、ハリウッド製怪獣映画には類似したパターンは他に見当たらない。そういう観点からは、もっとも本作の影響が顕著だったのは日本怪獣映画だったのかもしれません、円谷英二も『キングコング』を目標にして『ゴジラ』を撮ったと述懐していますからね。またストーリーの骨幹はまさに“美女と野獣”で、怪獣が人間と美女を張り合うという言ってみればアダルトなテーマは他の怪獣映画には見られない独特なものでもあります。これにはコングが巨大なゴリラという擬人化し易いキャラだということもあるのでしょう。エンパイア・ステート・ビルの天辺で戦闘機の銃撃に倒されるラスト、その転落間際の切なささえ感じてしまう表情には、どうしても自分を受け入れてくれなかったアン・ダローへの哀切な感情すら見てしまうのは、私だけでしょうか。 全長版というかカットされたシーンを復元したバージョンには、コングが髑髏島の住人を食べたりNYで女性を窓から地面に叩きつけて殺したりする残虐シーンがあるそうです。残酷すぎるということで当初カットされたそうですが、そういうコングの獣性が薄められた現在のバージョンの方が素直にコングに感情移入できていいんじゃないでしょうか。ピーター・ジャクソンは2005年のリメイクで、“残酷コング”ではなく谷底に落ちた船員たちが蟹蜘蛛なんかに喰われるオリジナルでカットされたシーンをきっちり再現しています。そして気が付いたのは、このピー・ジャク版コングにはオリジナルを忠実に再現しているカット割りが多々あることでした。円谷英二とは世代がかなり違うけど、ピー・ジャクもまた本作をこよなくリスペクトする映画人の一人なんですね。 【S&S】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2021-11-04 21:03:45) (良:1票) |
《改行表示》79.《ネタバレ》 退屈さにリタイア寸前のところで登場したコング。その顔とカクカクした動きに失笑「何じゃこりゃ、ハズレだこりゃ」 しかしながら、 そこからエンディングまでのコングの一挙手一投足に釘付けに。破壊と殺戮の限りを尽くすケダモノが見せるアンへの一途な思いを表現する映像技術に拍手喝采、凄いとしか言いようがない。 アンの悲鳴に飛んで行き繰り広げる恐竜達との肉弾戦の超ド迫力。「ボクの彼女に指一本触れさせんぞ」「く、苦しい、負けてたまるか」「・・・死んだか・・・死んだな、よし」「どんなもんじゃい」「怪我は無いかい、やっつけたからね、もう大丈夫だよ」 気絶しているアンの匂いを嗅いで「ハァ~ン、可愛いね、好きだよ」 エンパイアステートビル頂上での最期「ボクがそんなに怖いかい、嫌いなのかい、さようなら」 唯々切なく胸が痛い、そういう作品じゃない筈なのに。 アンを始めとした人間たちが深みが無いのが歯痒い(-1点)ものの、怪獣映画の金字塔たる傑作。 |
《改行表示》78.《ネタバレ》 元祖コング氏を知るために視聴。 見所はやはり特撮。髑髏島の門を開けたが最後、凡庸なドラマはスリル溢れる非現実に直下していく。これが戦前の映画とはまぁ信じられない。 ストップモーションアニメによるコング氏と恐竜達の怪獣バトルはとにかく熱い。特にヘビ的なヤツがコング氏の首を絞めてくるシーンは冷や汗モノ。自然と「コング氏頑張れ!」と応援しちゃいます。それにあまりにも自然な合成にもビックリ。マジでコングと人間が入り混じる世界を見ているかのようだ。 しかしまぁドラマは古典的だし、ヒロインはかなりアイコン的で叫んでばかりで深みは無い。 だけどコング氏のなんと名優っぷりだろう、どこまでもエゴの塊である人間に対する怒り、惚れた女に対する紳士っぷり、そして恐怖の対象としての仕事人っぷりどれをとっても完璧。 人を潰したり、人を咥えて投げたり、人を高所から落としたりと中々エグい事をするのもなかなかです。まぁ人間が悪いからしゃーない。あとお顔も表情豊かでちょっと目が可愛い所も嬉しい。対ゴジラのはなんだったのか。 そして最後の終わり方はなんとも悲しい。 人間のエゴによってジワジワと殺されて行くコング氏の悲しい目がたまりません。なんて事をするんだ! そんなこんなで今見ても凄い本作。コング氏の華々しいデビューは90年近く経った今でも素晴らしい輝きを放つ映画でした。 【えすえふ】さん [インターネット(字幕)] 7点(2021-05-09 09:57:17) (良:2票) |
《改行表示》77.《ネタバレ》 いつだったか思い出せないが、1954年のゴジラの特撮に衝撃を受けた後にこの映画をテレビで見ることが出来た。 ゴジラよりも更に昔の映画だが、ストップモーションアニメと実写俳優との合成のすばらしさに目を奪われた。 ハリーハウゼンの映画を観たときに近いワクワクだったが、それについての「さもありなん」は割愛する。 特に気に入ったのは、ステゴサウルスのような恐竜がこちらに気付いて猛烈に突進してくるところを爆弾で倒す、長回しのワンカット処理だ。 スクリーンに映した映画を相手にリアルタイムで芝居をつける8時だョ!全員集合でのレアな、一番大好きだったコントを思い出したからだ。 話の内容も、古いといえどもさすがはアメリカ映画。テンポ良くて退屈させないし、いろいろな暗喩が込められているようだ。一筋縄ではいかない。 自分が一番感じたのは、種の違いだ。命懸けで攫ったり、救出したりするのは男性もコングも同じなのに、コングがヒロインに受け入れられることは絶対にない。 後に作られたリメイク作品やパクリものでも、だいたいコングは哀しいピエロである。美女と野獣で言うなら、野獣はけして報われないということ。 コングがなぜ種を越えて人間の女性を気に入ったのかまでは、観ていてもわからなかった。感情に理屈はないということか。 人間の女なら誰でもいいというわけでもない。明らかにヒロイン個体を識別している。綺麗だと、感じているように見える。 これに対して美女側はつれない。当然だ。種が違う。だいいち、怖い。このバランスに少し創作意欲を刺激されたのが後作品の美女側のコングへの憐みだ。 ところで、「ちいさいもの」に恋をする作品は、視点をコング側に置き換えることによって生まれた発想ではないだろうか あと、アンデルセンの人魚姫は好かれていたとおもうけど報われなかったね。種の違いの代償で声を失ったがための不幸だ 【うまシネマ】さん [インターネット(字幕)] 6点(2019-09-17 03:12:05) |
76.《ネタバレ》 キングコングのオリジナル。恐竜との追っかけなどちょっと冗長な感じも する。それよりもコングを捕らえるところとか、コングが女の美しさに惹かれる描写などを見たかった。劇中何度も言葉に出されているように、美女と野獣を意識しているのならなおさら、ちょっとくらいコングの熱意に女がほだされる様な展開を見せてくれてもいいじゃないか、なんて思ったりっもした。いやそこまではいかなくても、コングが他の誰でもなく自分を欲している事について、女側のもうちょっと深い描写がほしかった。 【Tolbie】さん [DVD(字幕)] 6点(2017-08-23 17:58:31) |
《改行表示》75.《ネタバレ》 わあー、凄いなこれ、とただそう思いました。制作に携わったスタッフへの、リスペクトに近い思いです。 映像技術の拙さはもちろん隠しようもない。80年も前の作品だもの。だけどそんなことはちっぽけに感じる。画質の粗さはむしろコングやセットの作り物感を払拭し、21世紀の今となっては発掘された昔の謎フィルムでも観ているような楽しさがあります。いつの間にか観てるこちらも秘境の島でコングvs大蛇の闘いをどきどきと覗き見ている気分になっていました。 すごいものを作ろう、びっくりさせよう、という制作魂の熱き思いが全編を貫いており、その熱量の高さに圧倒されるばかりの100分です。 後のリメイク版での、美女と心通わせるコングという設定を耳にしていたので、この初版のコングの凶暴ぶりには正直驚きました。ためらいなく人間を踏み潰し、投げ飛ばし、ケダモノそのもの。ワタシはもちろん33年版のモンスターのリアル性を支持します。 【tottoko】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2015-05-05 00:50:46) (良:2票) |
74.《ネタバレ》 コングがかわいそうだろ!金儲けのためにアメリカまで連れて行かれて、美女のために戦ったじゃないか…。ヨダレをダラッダラ垂らしながら「美女が野獣を倒したのだ~」ですって!嫌になっちゃうわよ!……久々に「カニと修造理論」を思い出しました。カニの親子が仲良くしているところに「食いしんぼう万歳」のロケで海にやってきた松岡修造が現れ、無残にもカニは食べられてしまう…どっちが悪やねん!どっちなんじゃあああああ!人間ってサイテーね!この映画はただの特撮映画じゃないわ!ワンダフルな特撮技術と人間の醜さを描いているから名作なのよ!何にもしてないくせにヒーローを気取りやがって……。途中からコングに感情移入してしまいましたよ。レビューを書いているうちにどんどん怒りが増してくる。いい映画だなぁおい!人間サイテー!サイテーだわよ! 【カニばさみ】さん [DVD(字幕)] 8点(2015-02-08 17:24:08) (笑:1票) |
《改行表示》73.《ネタバレ》 世界恐慌直後のアメリカ。 職にあぶれた人間でごった返す当時の情勢は、その後の第二次大戦の暗い影も見えてきそうだ。 冒頭こそ淡々としすぎる映像だが、島に入ってからその面白さは加速する。 怪しげな原住民の儀式、 巨大な砦、 そしてそこに君臨する巨獣キング・コング! ねんどや人形のコマ撮りで動かしているとは思えないほどの動きと迫力! コングに掴まれたり身ぐるみ剥がされたりで叫びまくる女優の演技もリアルで凄い。 子供の頃は「何でゴリラと恐竜が戦ってんだよ」と理解に苦しんでいたが、今見るとその細かい戦闘描写に見入ってしまう。 コングからヒロインを奪還すべく追う主人公たち、ヒロインを守るコング。 そして事もあろうに、何とコングは人間の手で島からニューヨークに連れていかれるのだ! 安易な思い込みが命取りとなる。 何と愚かな事だろう。 ヒロインを見つけて拘束具を安々と外し逃げ出すコング。 コングはヒロインに惚れてしまったのだ。 セルズニックの演出には常に「愛」が存在している。 後年の「レベッカ」、「風と共に去りぬ」、「白昼の決闘」、「第三の男」における三角関係・・・心が怪獣にはあった。 人間のような感情がコングにはあった。 人間と同じように、コングも赤い血の流れた生き物なのだ。 ただ、コングの純粋な恋心も、人間には恐ろしい化物が叫ぶようにしか見えないのだろう。 コングは戦った。たった一匹で勇敢に戦い、壮絶に散って行ったのだ。 コングの遺体の傍で、コングを捕らえた男が一言漏らす。 いつの時代も、一番の原因となった悪党が生き残るのが世の常だ。 本当に恐ろしいのは、こういう人間なのである。 【すかあふえいす】さん [DVD(字幕)] 9点(2014-12-20 20:06:44) (良:2票) |
72.《ネタバレ》 元祖「トレ・コング」は、切って貼りつけたようで動きに違和感のある特撮ゴリラ。これがいいんです。孤島からハリウッド進出したゴリラが大暴れ。上映当時としては斬新な設定と映像に多くの人が心踊らされたことでしょう。最期はお姫サマを残してエンパイヤ・ステイト・ビルより堕つ。名作モンスター映画、傑作。 【獅子-平常心】さん [DVD(字幕)] 8点(2014-06-08 22:25:41) |
|
71.《ネタバレ》 ○製作が1933年というのが信じがたい出来栄え。ストップモーションといえば「ターミネーター」のイメージだったが、多少荒い画質も手伝ってほとんど違和感なく見られた。○ストーリーとしてはコングが街に連れてこられてからがミソだが、少し物足りないかな。コングとアンの間にもう少しドラマがあればもう少し感動できたかもしれない。 【TOSHI】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2014-02-10 00:08:49) |
70.《ネタバレ》 今までずっと見たかった映画ではあったが、リメイク版2作と東宝で作られた日本版2作を既に見ていることと、80年前の特撮がいかにも古臭そうな印象だったため、なかなか手が出ずにいたが、そんなことを考えるのがバカバカしくなるほど素晴らしい映画だった。登場するキングコングや恐竜たちはストップモーションでリアルに表現されていて、恐怖感もちゃんと出てて、もうそれだけで感動的だし、着ぐるみやCGによる特撮と違ってストップモーションによる特撮は見慣れていないが、トリック撮影初期の段階でここまでのものができていたとは。これが円谷英二監督などのちの特撮映画の製作者たちに与えた影響が大きいことは有名な話だが、実際に見てみてなるほどと思わされた。リメイク版は2作ともヒロインのアンが徐々にキングコングに惹かれていく展開があり、本作でもそうだろうなと思っていたのだが、それがなく、アンはキングコングに対してひたすら悲鳴をあげるのみというのがビックリした。だが、それがかえってリアルだ。ドラマ性を極力廃したシンプルな構成なのも良かったが、それでもアンを抱えてエンパイアステートビルに登ったキングコングが無残に殺されてしまうという結末はやはり初代である本作から既にどこか哀愁を帯びていて印象に残り、なにかやるせなさを感じさせる。そしてなによりもやはり当時はゼロに近い状態から始まったに違いない怪獣のリアルな表現という命題に果敢に挑戦しそれを見事にやってのけたスタッフたちはまさに賞賛されるべき偉業を成し遂げていて、きっと裏で大変な工夫と努力と苦労があったことは想像にかたくない。また、ここから今につながる怪獣映画の歴史が始まったのかと思うと感慨深いものもある。怪獣映画が大好きな自分にとっては10点以外はつけることができない。本当にもっと早く見ればよかったと見終わって素直に思ってしまった。 【イニシャルK】さん [DVD(字幕)] 10点(2013-11-12 14:10:02) (良:2票) |
《改行表示》69.《ネタバレ》 1933年の公開当時は、衝撃的な映画の出現だったに違いない。 ただ今観ると、さすがに特撮技術のレベルはいかんともしがたく古く感じる。 動きがカクカクしてるのもあって怖さや凄さよりもひたすらかわいく、時に滑稽にさえ見えてしまう。 それでもアイデアとストーリーは秀逸で、だからこそ繰り返しリメイクされる名作となった。 オリジナルはコングの殺戮が容赦なく、アンがコングに好感を持つこともない。 全般的にテンポが良く歯切れがいいが、テンポが良すぎてジャックのアンへの愛の告白が唐突に感じた。 ラストは驕る王者が倒される悲哀がたっぷり。 製作年やエポックメイキング的な価値を加味すれば評価は高くなるが、そうしたことを考慮に入れなければリメイク版のほうが見やすくて好き。 先にリメイク版を観ていたのでインパクトが薄れてしまったし、特撮技術の差はあまりにも大きく、コングとアンの交流も欲しかった。 【飛鳥】さん [DVD(字幕)] 5点(2013-06-23 00:16:40) |
68.ゴリラをデカくするというアイデアだけで有名なのかと思っていたが、思っていたより面白かった。巨大感の表現が秀逸な、よくできた娯楽作。 【肛門亭そよ風】さん [DVD(字幕)] 7点(2012-12-29 06:17:15) |
67.《ネタバレ》 無駄のない構成に感服。まずスカル島に到着するまでの序章がテンポよい。ジャングル映画監督の特異な性格が示され、運よく不遇の美女タレントがスカウトされ、恋を知らなかった荒くれ船員が美女と恋に落ちる。次に原住民との遭遇⇒美女が原住民にさらわれる⇒コングが美女を連れ去る⇒美女奪回のため島の奥地へ⇒恐竜との遭遇⇒コングと恐竜達との壮絶バトル展開⇒美女奪還⇒コング捕獲と休む暇がない。ここで終わっても冒険物語は成立する。当時流行していたジャングルもの、南洋ものと呼ばれる小説や映画の多くがそうだった。本作は、このあとコングをニューヨークに連れていくことで名作となりえた。「コングを見世物にして金儲けする」という人間の欲望、これを描くのにニューヨークはぴったりの街である。自然との調和を忘れ、欲望に溺れ、堕落した人間達に、神の使いであるコングが天罰を加える。経済発展を謳歌していた米国で世界恐慌が発生した直後の制作で、コングは当時の人が無意識に持っていた罪意識の象徴として映ったのに違いない。これが現在にも通じることで、今でも色褪せない理由の一つがここにあると思う。美女を取り戻したコングは高層ビルの天辺に避難する。だがそこに安住の地はない。文明の利器である飛行機と機関銃が襲い掛かる。スカル島では怖いものなしだったコングもこれには勝てず、墜落死する。人間を襲った罪として、今度はコングが罰せられたのだ。欲望とそれを律する心のせめぎあいを見事に表現している。もう一つの主題は恋愛という不思議さ。いくらコングが美女を愛しても、その愛が報われることはない。コングは美女の守護者であると同時に永遠の失恋者。美女に恋しても相手は振り向いてもくれない経験を持つ男性は多い筈で、身につまされる。野獣のコング相手に感情移入できる所以だ。失恋男の哀れさが憐みを誘う。美女に惚れなければこのような悲劇は起きなかった。「飛行機ではない、美女が野獣を仕留めたのだ」の詞は的を得ている。副題の「the eighth wonder of the world」はコングであり、恋愛である。鑑賞後冒頭の諺がしみじみと想起された。「預言者曰く。見よ、野獣は美女の顔を見て、殺そうとして伸ばした腕を止めた。その日以来野獣は死んだも同然となった」野獣でさえもこうだ。どんな人間でも美を愛でる優しさ、人間らしさを持つ。コングよ安らかに眠れ! 【よしのぶ】さん [DVD(字幕)] 10点(2012-07-01 01:27:53) (良:3票) |
《改行表示》66.《ネタバレ》 いや、嬉しい。まさかこんなに出来の良い猿映画に いや、モンスター映画に今さら出会ってしまうとは。 76のキングコングには特別な思い入れがあってアレだったのですが、そんなこと言ってる場合と違う。とにかくこちら 33のキングコングの出来はスゴイ! しかし、思うにニューヨーク 〝登るな危険!〟とか 〝ポイ捨て禁止〟とか〝飛び出すな 電車は急には止まれない〟だとか、まだあの時代にはそんな標語が出来て無かったんだろうね かと言って、例え街角にそんな標語が貼ってあったとしても それを読む読まないはコング次第。 きっとそんなの読んでる余裕って無かったでしょうね きっとあの時、彼って〝フェイ・レイ〟〝フェイレイ〟って必死のぱっちで フェイレイ病だったから。 【3737】さん [CS・衛星(字幕)] 10点(2011-12-27 22:11:22) (良:3票) |
《改行表示》65.《ネタバレ》 吹替版で観たのですが、序盤の土人との会話のシーンに違和感がなさすぎて笑ってしまいました。 まぁ、それはそれとして、この映画の主題ってなんだろう。自然や動物好きの自分としては、どうしても手放しで称賛できない映画なんですよね。 人間が興味本位で相手のテリトリーに勝手に踏み込んで生態系を荒らした挙げ句、コングを生け捕りにしてニューヨークまで持ち帰って商売の道具として使い、手に負えなくなると殺してしまう。確かにヒロインが連れ去られて助けなきゃいけないのだけど悪いのは人間の方だし・・・とか考えたりしているうちに、自分が旅をした時の事を思い出した。 観光に来た人間が野生の動物に餌を与えた事によって人間に馴れ始め、そこから悲劇が起きてしまうという。そこまで来たらもう人間側に犠牲者が出るか、そうなる前に駆除するかの二者択一となってしまい、この映画で語られている事と同じ事態が起きてしまう。 自分は、文明社会に対する皮肉や警鐘、自然に対する畏怖の念を勝手に感じ取りましたが、映画の最後に発せられた台詞をどう解釈してもそのようなメッセージがあるようには思えなかったので、単なる勘違いをしただけだと思いますが、特撮を含めた映画自体の出来が良かったので、怒りや不満などのような感情は不思議と湧いてこなかったです。 ひとつ、面白かったのが、コングがニューヨークの劇場で拘束されて脱出する時、足枷を外すのが力ずくではなく丁寧に両手を使って外していたところは、萌え~なシーンです。 【もっつぁれら】さん [映画館(吹替)] 7点(2011-12-23 23:33:17) (笑:1票) |
64.現代の視点から純粋に鑑賞対象として観た場合、確かに古すぎる特撮技術などに見どころは無いのだけど、製作年度である1933年から横たわる80年という歳月を意識せざるを得ないパワーを放つ作品でした。1926年の「メトロポリス」にはそんな感慨は湧かなかったけど、この「コング」にはびっくりしました。オリジナルから40年後に製作されたジェシカ・ラング版「コング」も当時の最先端の技術を注ぎ込んだ作品でしたが、本作を観た後では1970年代の撮影技術のレベルの高低よりこの第一作の頑張りを証明するような印象に変わりました。そして、2度目のリメイクはこのオリジナルへのオマージュに満ちていたことを今更ながらに知った訳ですが、ピーター・ジャクソン監督が本作を尊重する気持ちが分りますね。ジャクソン版で印象的だったコングがTレックスをやっつけた後に下あごをもてあそぶ仕草が、すでに表現されています。この作品の凄いところは、コングや恐竜たちを動かしただけではなく、その動きを「らしく」演出するために膨大なエネルギーを注いでいるところだと思います。自分たちで表現のハードルを上げて、それをクリアーするために工夫と努力を繰り返した人たちの姿がフィルムの向こう側に見える気がしました。商業映画の黎明期に、その地盤を固めた作品だったのだと思います。で、なんだかレビューの本質とは離れますが、この点数は「敬意」です。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2011-12-01 00:58:13) (良:2票) |
63.《ネタバレ》 現代ではさすがに特撮レベルが古過ぎて、その映像は「映画史の資料」的な見方しかできませんでしたが、1933年ということを考えると、かなり頑張ってるなと感心しますし、スカル島の巨大ゲートのセットは『イントレランス』を思い出すような雰囲気がありました。僕にとってのキングコングはジョン・ギラーミン版が最初で、それはつまらなく思い、その次がピーター・ジャクソン版。ピーター・ジャクソン版が好きになり、今回オリジナルを見てみる気になった次第。美女にかかっては野獣も骨抜きになってしまうというテーマはオリジナルが最も分かりやすく作られているなと思いました。デナムやドリスコルの人物像もオリジナルの方が好きです。船でのテスト撮影シーンでアンを高く見上げさせ叫び声を上げさせ、それを見物していたドリスコル(オリジナルは船乗り)に「何を見せるつもりだ?」と言わせるくだりも気に入りました。そのうち巨大ゴリラが出てくることは分かっているし、しかも現代となってはお粗末な巨大ゴリラであっても、こういうシーンが作り出す雰囲気作りって大事だなーと思いました。 コングはオリジナルはあくまで野獣なんですね。リメイクのようなヒューマニティは見せないし、アンはコングに愛着なんか持ってない。男性性の負の面のみを強調したメタファーで、そいつを退治して最後アンとドリスコルを2ショットにする。美女が野獣を骨抜きにする・・・といっても、男性の中にある野獣の側面だけを抜き去っているというならいいけど(この映画ではドリスコルをして女嫌いな無骨な男から、優しい紳士に変えたということかな)、でも男性そのものを骨抜きにしてはいないのかなぁ? よくよく考えてみれば、今の流行は中性的な(というか女ぽい)男性だったりしてない? 「こんなのばかりもてはやされて、もし戦争とか原始的生活が余儀なくされたら大丈夫か?」とか思わなくもないんですが、そういう風にしてしまってるのはなにも美女のせいではないよーな(美女って少なくなった気がするー)・・・男を骨抜きにしてるのはアニメやメディアだったりして? 【だみお】さん [DVD(字幕)] 6点(2011-09-12 04:41:39) |
《改行表示》62.映画「ゴジラ」のヒット以来、私の少年時代にはたくさんの怪獣映画が作られた。それらは最初のうちはおもしろく思えていたが、年を重ねるうちだんだん嫌になり敬遠していた。それはキング・コングについても同様で、テレビで最初見たときはあまり良い映画だとは思わなかった。そして一番気になったのは、コングがなぜエンパイヤ・ステートビルに登ったのかだった。逃げ場はないのに・・・。 今になって、追い詰められて高いビルの頂上に登ったのでないことがようやくわかった。島のジャングルではコングにとって危険な動物がたくさんいた。自分と自分の大切なもの(美女)を守るには地上では危ない。より安全な木の上に場所を求めた。それがNYではある高いビルの頂上だった。 この映画はやはり歴史的名画だと思うし、「美女と野獣」をも思い出せる。それは、コングが単に怪獣ではなく、心を持った動物だということだろう。白人優越主義や商業主義の米国の姿が見え隠れするが・・・。 【ESPERANZA】さん [地上波(字幕)] 6点(2011-08-12 12:38:06) (良:2票) |