1.《ネタバレ》 モンゴルの時代劇である。他国と並んで製作国に名を連ねるのでなく単独のモンゴル映画らしい。風景として青空・草原・湿地・丘陵・砂漠などが映る。
主人公のクトゥルンは、13世紀モンゴル帝国の有力者だった「ハイドゥ」(カイドゥ)の娘とされている。本人に関わる逸話として、力業(字幕ではモンゴル相撲)で自分に勝った者の妻になると宣言し、応募者をことごとく打ち負かした話が東方見聞録に紹介されていて、これが英題のWrestling Princessの由来になっている。
時代背景としては、2代目ハーンのオゴタイの家系に属する主人公の家と、当時の5代目ハーンのフビライの勢力が対立している状況で、大まかには史実を踏まえているがかなり簡略化して改変している。帝国自体はまだ健在なので、邦題にある「末裔」という言葉のイメージほど後代の話ではない。
なお言語は基本的にモンゴル語のようで、口の奥で出す音が耳につく印象だった。また主人公が元のフビライに対抗する立場だったこともあり、漢人や漢語への微妙な反感が見えるようだった。
戦いの映画としては、騎馬軍団の戦いというより人と人が戦うアクション映画のイメージである。なぜか忍者部隊のようなのも出て土遁の術など使っていた。
主人公の物語としては「かぐや姫」のように、言い寄る男を次々排除する場面を大きく扱うのかと思ったらそうでもない。Wrestling Princessは題名だけかと思っていると、最後に少し時間を取ってその関係のエピソードが入れてある。確かに前半で、主人公が賊に負けてしまって意外に弱いと思わせる場面があったが、それがラストにつながる伏線だったらしい。
原作小説の著者は女性の地位向上に関わっている人物のようで、この映画でも自由を得るためには強くあれ、というメッセージが感じられる。見ていてそれほど面白いとは思わなかったが、最終的になるほどそういうことだったかと納得した。
登場人物として、主人公の仲間たちは人間性が深堀りされないが、うち小太りで小汚く見える「アバタイ」が実はイケメン枠だったらしいのは意外だった。主人公は、日本でいえば浅野温子(の若い頃)のような外見で、乗馬ができる役者のようだがモンゴル人なら普通かも知れない。敵方に「かわいい顔」と言われていたが本当に可愛い人で、終盤でにっこり笑った顔が、序盤の子役の笑顔を思い出させたのは少し感動的だった。この人の強い+可愛い姫様像が映画全体の価値をかなり高めている。