二十四時間の情事のシネマレビュー、評価、クチコミ、感想です。

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二十四時間の情事

[ニジュウヨジカンノジョウジ]
(ヒロシマ・モナムール)
Hiroshima,Mon Amour
1959年上映時間:91分
平均点:6.11 / 10(Review 18人) (点数分布表示)
ドラマラブストーリー戦争ものモノクロ映画
新規登録(2003-10-07)【シネマレビュー管理人】さん
タイトル情報更新(2017-12-03)【イニシャルK】さん
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監督アラン・レネ
キャスト岡田英次(男優)
エマニュエル・リヴァ(女優)彼女
出演加藤嘉(映画「ひろしま」より流用)
山田五十鈴(映画「ひろしま」より流用)
月丘夢路(映画「ひろしま」より流用)
原作マルグリット・デュラス
脚本マルグリット・デュラス
音楽ジョヴァンニ・フスコ
ジョルジュ・ドルリュー
撮影サッシャ・ヴィエルニー
高橋通夫
製作アナトール・ドーマン
永田雅一
大映
配給大映
フランス映画社
編集アンリ・コルピ
あらすじ
映画のロケで広島に来たフランス人女性にフランス語で声をかけた日本人男性、二人はともに既婚者で、女はロケが終われば広島を去ることになっていた。「君には広島はわからない。」と男は言い、女は広島で見聞きしたことを羅列してみせ、ただ甘える。フランス人女性は日本人男性に、世界大戦中に故郷ヌベール(Nevers)で初恋の相手だったドイツ兵の面影を見出していた。原爆投下から14年、不死鳥のように甦った広島の繁華街を徘徊する二人の会話の中で、戦勝国の人間の心にも残る戦争の深い傷跡が浮き彫りになっていく。
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18.《ネタバレ》 序盤のなかなかのショッキング映像にしろ、50年代でよくもまぁ作れたもんだなと感心しましたけど、 後半からは、フランス映画らしい観念的な難しさがあって、なかなか理解が追いつかなかったです。 フランスの田舎町と、その当時のレトロな広島の風景を交互に見せるシーンはなんとも言えない不思議な感覚に陥りました。
あろえりーなさん [CS・衛星(字幕)] 6点(2020-03-03 18:09:38)
17.実験的な意欲作だとは思うのだが、見方によっては出来損ないの日活映画のような感じもして、パンチ不足のような。外人監督でも違和感なく撮れているという事なのかもしれないが。
東京50km圏道路地図さん [CS・衛星(字幕)] 5点(2018-09-18 22:28:39)
16.おそらく、時代色が出すぎた映画。人物の心情などは、戦後14年という時点でなければ理解できにくいものではないでしょうか。ということで歴史的意義はあると思いますが、60年後に鑑賞に耐えるほどの普遍性はないと思います。もはや、当時の広島の風景が見られるということが、一番のとりえでしょう。
アングロファイルさん [CS・衛星(字幕)] 5点(2018-04-29 20:22:17)
15.回りくどい演技に面倒臭い会話。悲惨な出来事に向き合っているようにも見えますが、もうちょっと寄り添う気持ちがあってもいいんじゃないですか?
ProPaceさん [CS・衛星(字幕)] 3点(2018-04-04 22:10:16)
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14.ヒロシマとヌヴェールを象徴的に扱うが、抽象的でもあり実験的な映画。 でもさすがにこれは賛否が分かれると思う。ハマるかどうかはその人次第。
simpleさん [CS・衛星(字幕)] 4点(2018-02-03 20:48:49)
13.何がしたかったのかよく分からないのですが・・・寓話的・象徴的にいきたいのであれば、現実そのもののデモ行進のシーンなど出すべきではないし、「性」と「生」を絡めて退廃的にいきたいのであれば、もっと「情事」の部分がきちんとしていなければならない。つまり、全体としてフワフワしていて、いろいろと中途半端なのです。「ヒロシマ」はネタにすぎなかったのか、とさえ思ってしまいます。
Oliasさん [CS・衛星(字幕)] 3点(2018-01-29 23:40:12)
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12.《ネタバレ》 男女の関係を通じた戦後時代の距離感が面白い。映画の多くは二人の会話である。会話を重ねお互いの距離は近づいていくが名は知らない。形式ばったことを軽視することで、奥深い情感が滲み出てくる。 詩的で軽妙な会話を見ていると、読みやすい本を読んでいるようで心地良くなるし、フランス女性の感情を想像したくなってくる。 彼女は酒などでは癒し得ない傷があり、それが原因となって日本男性への気持ちに葛藤している。しつこいくらいの葛藤が、戦時の平時とは違う異常性を強く考えさせられる。戦争について精神的な後遺症をこの時代にピックアップした点は驚きだ。  二十四時間の情事の後、彼らはどうなったのだろうか考えさせられる。最後に互いに名前を知らないことが強調されるから、教え合うことで情事は終わるのかな。何となくそう考えたくなったから、反戦映画としての意義も十分あるのかもしれません。
さわきさん [CS・衛星(字幕)] 7点(2018-01-29 16:25:35)
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11.ヒロシマモナムールというタイトルに惹かれて鑑賞。 序盤の被爆直後のシーンにおいては、これ記録映像なのかなと思えるほど目を背けたくなるほどリアルでツライものでありましたが、そのツライ映像というか画像は初めだけ。 話はすぐに行きずりの女と男の二十四時間の情事、そして女のツラい過去が一方的に明かされ、その女と一夜限りで別れたくない男が最後まで絡んでゆくというドラマに変身。 最後こそ、女がヒロシマの街を彷徨い、タイトル相応の行動を起こしてはくれましたが、これ、 実のところはヒロシマ・モナムールではなく タイトル、ヌーブル・モナムールのほうが正解なんじゃないかなとか思えて終焉。 反戦映画に対して そんな思いを持ってしまった事が間違った見方なのか 別に間違ってはいないのか 答えは出て来ませんが、 実際のところは『ヒロシマ、わが愛』というよりも  『ヌーブル、わが愛』  そう強く感じてしまった。それが素直な感想とさせていただきます。  以下は、直リンするかどうかで大いに悩みましたが、直リンさせてもらう事にしました。 私はネット上で拾ったこの方の解説と解釈と思いにすごく救われました。 気になられた方は是非とも目にしてみてください。 以下はその方の(たぶん個人)ブログです。  ↓ http://tetsu-eiga.at.webry.info/201408/article_23.html  (アラン・レネとマルグリット・デュラスは「ヒロシマ」をどう捉えたのか)  PS.私はこの方とこの方のブログに敬意を称します。 (プロフィールから察するに、現在70歳~80歳近くになられている方のご様子です)
3737さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2017-08-13 10:44:03)
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10.《ネタバレ》 「ヒロシマ・モナムール(広島、我が愛)」。  「君は何も見ていない」という言葉は、アラン・レネ自身の自問自答がこの映画に刻まれているのではないだろうか。 「夜と霧」がそうであったように、人が殺された“跡”とそれを記録したフィルムを通して見たにすぎない。直接あの惨状を見てはいないのだ、と。 レネが冒頭で原爆の惨状を伝えるフィルムとして関川秀雄の「ひろしま」を選らんだのも、あの日を経験した・あの日に家族や友人を失った者が大勢参加したフィルムだったからだろうか。岡田英次も「ひろしま」に出ていたのだから。  原爆資料館、被爆者を治療する映像、それを再現した映画が重なり、2人の男女が情事にふけながら広島の話をするのである。いや、話すのは広島にとって外部の人間であるエマニュエル・リヴァ。岡田英次はそれを黙って聞くように彼女の体を抱き続ける。人の死が刻まれた映像と共に二人は新しい生命が生まれる勢いで性交を続けるのである。 「夜と霧」が「死」だけの描かれたドキュメンタリーとして終わったならば、この映画は「死」の次にある「生」を交えながら描こうとしたのだろうか。 さすがにあれだけズッコンバッコンされると平手打ちどころじゃないけど。岡田英次もちょっと殴りたくなったわ。  2人の男女は心の中に戦争の傷跡、見えない傷が刻まれている。家族を失った男、最愛の恋人を失った女。2人は共通の痛みで接近するし、また完全な理解者にはなれないだろうという心の距離も置いている。自分の故郷にいる岡田英次は尚更だ。それは英次にとってもリヴァの過去を知らないという問題が出てくる。  リヴァもまた自分の愛した軍人と、軍人として生きていた英次の境遇を重ねているだけ。同情?興味本位?疑問が浮かぶ関係の二人は心の底から愛し合っていない。冒頭で二人の肌を覆う灰?のような粉が消えていくのは表面上の事に過ぎない。  広島のデモ行進で呼び起される彼女の記憶・「手」に刻まれた忘れることのできない記憶。冒頭シーンからして手、手、手が映される。 広島が変わりゆく街並みの中で「あの日の惨劇を絶対に忘れるものか」といたるところで叫ぶように(デモのプラカード、写真や絵まで混ざる遺影の生々しさ、被爆した人間のようなメイクを施して祭りを見物する人々、メイクで背中の火傷を再現する描写など)、女も英次に恋人の面影を狂ったように求め始める。  リヴァが悩んだ次は英次が悩む。英次はリヴァの記憶を直接見ることは出来ないのだから。リヴァが思い浮かべる故郷ヌヴェールの姿も英次は恐らく知らない。この瞬間に2人の男女の間に決定的な心の壁が生まれる。 英次がストーカーまがいの行為までして彼女を追うのも、それが悔しくてしょうがなかったのだろうか。自分も彼女も何も知る事が出来ないという点じゃ一緒だ、と。  その見えない壁は、ラストでそれぞれの故郷の名で異性を呼び合う瞬間まで存在していたのではないだろうか。何て事を思ってしまう。
すかあふえいすさん [DVD(字幕)] 9点(2015-06-19 13:06:26)
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9.全編を通して芸術性を感じられる、フランス映画らしい作品。 主人公の男性が日本人というところも感情移入できて良い。 フランス人女性との恋が戦後間もない広島を舞台に描かれるが、意外と違和感を感じない。 上映時間は短いが意外と長く感じられるのは、セリフ以外にも俳優の表情が豊かなせいだろうか。それにしても、点数が付けづらいのがつらいところ。
mhiroさん [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-01-14 22:11:31)
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8.《ネタバレ》 冒頭、砂なのか灰なのかも分からないようなものにまみれながら抱き合うワンカットから、情事に耽るシーンに重ね合わさるところで、早くも特異な雰囲気に包まれます。 出会いのいきさつには触れられてませんが、男の方は被爆によって家族を亡くしていて、また、女の方も戦争によって心に深い傷を負っているようで、お互いに何か通じるものがあったという感じでしょうか。 けど、それはただ単に傷を舐め合うだけで、双方どちらにとってもいいことなんかないんじゃないか。理屈ではそう思うけど、やっぱり離れられないわけで、もし仮に離れられたとしてフランスに帰ったなら、何年後かには忘れてしまうのではないかという不安や恐怖があったのかもしれません。 忘れれば、しばらくの間は楽になれるのかもしれませんが、忘れること自体が凄く罪な事。記憶に残し、咀嚼し、ケリをつけることは大きな痛みを伴うけども、逃げてはいけないのだと言っているような気がしました。 もし、彼女があのまま本当に日本に残るとしたらどうなるんだろう。 偶然出会ってしまった二人、そして、原爆を投下したアメリカと計り知れない悲しみを負わされたヒロシマ。 皆、過去に折り合いをつけて生きていかなければならない、そういう映画だと思いました。
もっつぁれらさん [映画館(字幕)] 7点(2010-01-04 04:33:35)
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7.《ネタバレ》 マルグリッドデュラスの映画は、どれも言葉が多く、そしてどの言葉もきれい。  殺されてしまったドイツ兵に恋をしていた女性の心の傷を 原爆被爆国、日本の男性が癒す話。  戦争は国を超えて、みんなに何らかの形で傷を負わす。 できることなら、戦争なんてない方が全くもっていいのだが・・
トントさん [DVD(字幕)] 6点(2009-09-06 22:19:49)
6.普遍的な映像美をもった作品です。冒頭の男女が肌を重ねるシーンもきれいですし、上半身の肌の重なり合いだけ(下着が描写されない)なので古くささを感じさせません。背景は50年前の日本なので実際古いのですが、白黒作品であるということと、男女の顔のクローズアップが多いのでこれも時代を感じさせない要因になっています。また、フランス女性は顔の作りが日本人に近いので、岡田英二さんと共演しても大きな違和感はありません。ただ、フランス人女性側のそれまでの人生は描かれていますが、日本人男性側の人生がまったく描かれてないのがちょっと不満です。日仏合作とはいえ、フランス人脚本監督のあくまでフランス映画ですから、大戦でドイツに蹂躙されてそこから解放されて10年ちょっとのフランス人の気持ちになって鑑賞するといいのかもしれませんね。岡田英二さんは行きずりの日本人男性という設定で良かったのかな。ちょっと、モンティ&ジェニファー・ジョーンズの終着駅を思い浮かべてしまいました。8点つけようとしたんですが、ラストがやや唐突な気がしたので一点減点。でも、メディアが変わっても消滅しないで引き継いで欲しい作品です。
ひよりんさん [DVD(字幕)] 7点(2008-02-10 09:45:37)(良:1票)
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5.岡田英次はこういう二枚目路線よりも、もう少しズレた感じの2.5枚目がいいんでないでしょうか。 具体的に言えば、『砂の女』で惨めに奮闘する学者役ですとか。
にじばぶさん [ビデオ(字幕)] 3点(2007-10-14 17:34:23)
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4.《ネタバレ》 他の方も書いてますが、私もヒロシマ・モナムールと聞くとどうしてもアルカトラス(グラハム・ボネットとイングヴェイ・マルムスティーンが居たバンド)の名曲を思い浮かべてしまうんですが、この映画も非常に美しく切ない作品でした。  広島の街を舞台にしたフランス映画ということで、変な日本の描写があるのではと心配でしたが和と洋が見事に融和していて全く問題ありませんでした。やはり、フランスの繊細な美的感覚は日本にも合うということでしょうね。(喫茶どーむには行ってみたいですね。もう無いでしょうけど・・・・・)  広島の原爆被害とそこからの再生の話だけではなく、フランス人女性の戦争によってつけられた大きな心の傷についての話でもあって、その広島出身の男とフランスのとある町(ヌベール)出身の女の束の間の出会いを描くことによって、戦争という悲劇とそこからの再生を物語っているように感じました。 
TMさん [CS・衛星(字幕)] 7点(2007-08-10 11:36:01)
3.《ネタバレ》 「ヒロシマ・モナムール」といえば「アルカトラス」の名曲を思い出してしまう世代なのですが(誰も知らんて?)本家本元はもちろんこの映画。反戦ものとしても恋愛ものとしても異色で、ストーリーらしいストーリーがなく、かといってレネお得意のドキュメンタリーでもなく、全編が「詩」のような映画。それは男女の繰り返される言葉がそう感じさせるのかもしれない。被爆地ヒロシマが戦後復興の中で人々の記憶から薄れゆこうとしている。平和公園や原爆ドームや記録映像や博物館が戦争の悲劇を語り継ぐために存在するが当事者の苦悩の大きさは伝えきれない。その中でけして消えない戦争の傷を背負った男女が苦悩する。風化させてはいけないが風化してゆく戦争の傷と忘れなければ前に進めないのに忘れることができない当事者それぞれに残る戦争の傷を同時に描くことでひとりの人間に多大なる影響を及ぼす戦争への批判を色濃くしてゆく。女にとってヒロシマは故郷ヌベール。ヌベールは彼女にとっての戦争の傷そのもの。二人の情事は終わらなければいけない。そして忘れなければいけない。そしてやっと前を向けられる。ヒロシマのように再生する。
R&Aさん [ビデオ(字幕)] 7点(2006-09-26 14:51:11)(良:1票)
2.《ネタバレ》 私はこの作品を恋愛ものだと思いたくありません。二人の関係は紛れもない不倫だし、外国の街角で自分の国の言葉で話しかけてきた異性と即ベッドインなんていうのは勧められませんが、主人公のフランス人女性には戦争で壊滅的に破壊された広島という街でそうしなければならなかった理由があり、全編がその理由を語るために存在するというといってもいいと思います。作品の中盤で、ロケの休憩中に転寝をする女性のわきに長い尻尾が妙な形に曲がった猫が登場しますが、「猫なら尻尾が曲がるだけでも人間だったら心の奥底に見えない傷がある。」と言うためにこの猫を出したのでは、などというのは考えすぎでしょうか?巻頭の「君は広島で何も見ていない。」という日本人男性の言葉には「戦勝国の人間には所詮、敗戦国のことはわからない。」というような奢りさえ感じられますが、その日本人男性は次第に考えを改めていき、フランス人女性の「ドイツ人の彼が死んだ悲しみを、村の人に罵倒されたり、髪の毛を刈り取られたりしている間は忘れることができた。」という言葉で正に目が覚めたと思います。トイツ人を愛したフランスの女まで憎いというフランス人の心理は(フランス人でなくても)ただ戦争の愚かさだけを見せつけます。「目を覚ませ!」というかのように女性の頬をひっぱたく男性と感謝するように微笑む女性。最後に夜明けのバーで離れた席に座ってフランス人女性を見つめる男性と目を伏せる女性・・・癒しにはほど遠いけれど理解しあうことはできたというような結末でした。点数は一番手の方の真似をしたわけではなく、モノクロながら目をそむけてしまった被爆者の治療シーンがあることと日本語の題名のせいでー1点です。わたしだったら題名は「ヒロシマ、わたしが愛した人」にします。
かわまりさん [DVD(字幕)] 9点(2006-03-23 11:15:32)
1.「きみはヒロシマで何も見なかった、何も…」と、情事のさなかに、歩きながら、料理屋で、ただくり返す日本人の男。それに対して、「私は見たわ」と同じくくり返す、フランス人の女性ジャーナリスト。男にとって”原爆”の悲劇とは決して「語り得ないもの」に他ならない。何故なら、それは「世界の終末」そのものであり、それを「見る=体験する」ことは、「死=無」そのものなのだから。しかし、女の方にも、戦争中に敵側のドイツ兵を愛し、その男の死とともに彼女自身の「魂の死」を体験した”過去”があったことを、観客は知らされる。永遠にすれ違ったままの、ふたつの「虚無」…。これはまさに、アラン・レネの映画というよりも原作・脚本のマルグリット・デュラスの作品と言うべきでしょう。その短い、そして暗示的な会話の積み重ねを通じて、ヒロシマとフランスの地方都市のふたつの場所で繰り広げられた「魂のホロコースト」が浮き彫りにされていく。その語り口の、なんて”崇高”なことなんだろう! …と、初めて見た時は深く深く感動したものだった。でも、その後にデュラス自身による映像作品『インディア・ソング』なんかを見るにつけ、このレネ作品すらもがある種の”通俗さ”が免れていないことにがく然としたワケで…。それでも、未だにぼくにとって、これは映画史上最も美しい恋愛映画のひとつだと信じております。(ひとつ、これは余談ですが、リチャード・リンクレーター監督の『恋人までの距離(ディスタンス)』って、絶対この映画の影響を受けてますよねっ!)
やましんの巻さん 9点(2003-11-17 13:51:48)(良:2票)
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【点数情報】

Review人数 18人
平均点数 6.11点
000.00%
100.00%
200.00%
3316.67%
415.56%
5211.11%
6316.67%
7633.33%
800.00%
9316.67%
1000.00%

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 5.00点 Review3人
2 ストーリー評価 8.66点 Review3人
3 鑑賞後の後味 8.66点 Review3人
4 音楽評価 7.66点 Review3人
5 感泣評価 10.00点 Review2人
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【アカデミー賞 情報】

1960年 33回
脚本賞マルグリット・デュラス候補(ノミネート) 

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