56.2039年にジョン・F・ケネディ暗殺の極秘証拠物件が公開されるという。1963年の事件発生から76年も経過した後での情報公開というあまりに不自然な制限と、それでもそれがまかり通っている現実に、大いなる不穏さと恐ろしさを感じる。
先日、JFK暗殺事件の「陰謀」そのものを生々しく描いた1973年の映画「ダラスの熱い日」を観て、改めてオリバー・ストーンの「JFK」を観直してみようと思った。
都合良く、BS放送を録りためていたHDDの中に今作が録画されていたことに気づき、想定よりも早く再鑑賞することができた。
最初にこの映画を観たのは、もう15年くらい前だったんじゃないかと思う。
中学生か高校生の僕は映画を積極的に見始めたばかりの頃で、この有名な監督の有名な作品を取り敢えず観ておかなければと思い、二巻組のVHSを観たのだったと思う。
そのときの感想としては、JFK暗殺に隠された真相をリアルに描いた骨太な社会派ドラマであるということを感じつつも、やはり圧倒的な尺の長さに退屈を覚えてしまった。
自分自身まだまだ子供だったし、この事件にまつわる事実関係や時代背景をあまりに理解していなかったのだろうと思う。
今でもその詳細を熟知しているわけではなかろうが、それなりに歳を重ね、歴史や社会の“常”をある程度理解出来るようになった分、この映画が相当に作り込まれた凄い映画だと言うことを改めて実感した。
「ダラスの熱い日」を観ても感じたことだが、結局のところ何が「真実」なのかは分からない。
これから更に時間を重ね、この「事件」が「史実」になるにつれ、その核心はさらにぼかされていくのかもしれない。
ただそうだとしても、もっとも重要なことは、ケビン・コスナーが演じた検事が法廷で訴えたように、たとえ時代が移り変わっても「真実」を追い求める姿勢を崩さず、それを受け継いでいくことだと思った。
情報公開の2039年まであと28年。何事も無ければ、自分自身もなんとかその内容を知ることが出来るだろうと思う。
何が正しく、何が間違っていたのか。果たしてその総てが明らかになるかどうかは分からないけれど、心待ちにしたいと思う。