19.《ネタバレ》 誰も悪くないような、誰もが悪いような…。
描かれているのは善と悪というステレオタイプではない、どこにでもいるリアルな人間の不幸。
相手を責め、自分の責任逃れをするエゴイズムは、誰でもこうなる要素を内在しているのかも。
愛する者を守りたいがための嘘が絡み合って、どうにも解けなくなってしまった糸のような状態。
認知症の親の介護、事故による流産、リストラによる生活苦など他人事とは言い切れないことだし、一つ歯車が狂えばなかなか元には戻らない。
イランが舞台ということで、貧困と宗教が絡んだリアリティに圧倒される。
敬虔なイスラム教徒のコーランへ誓うことの重さは想像以上で、物語のキーにもなっている。
神に誓っても嘘がつけるところでは成り立たないストーリーで、イスラム社会の特性がうまく生かされている。
チャードルで妊婦がどうかわかりにくくなっているのもそう。
街並みも含めて異国情緒や文化が色を添える。
互いに傷つけあう裁判や夫婦の諍いは、醜さと痛みがびんびん伝わってくる。
夫婦ともに娘をとても大切に愛していながら、それでも夫婦間を修復できずにその大切な愛する者を傷つけてしまう。
一番の被害者は子どもで、なす術のない様が哀れを誘い、後味の悪さが尾を引く。
ラストシーンでは、娘の審判を待つ夫婦は廊下の両サイドに分かれて無言、開かれたドアの向こうにいる相手に目も合わせない。
そのドアを何人もの人々が通り過ぎていく。
ほんの少し歩み寄れば簡単に通れるのに、その距離は永遠に届くことのないほど離れて感じられるという見事な演出。
脚本も兼ねたファルハディ監督の才能がうかがえる。
娘が両親のどちらを選んだか明らかにされていないが、娘の涙は両親の修復をついに諦めた惜別の涙に思える。
父の元にいたのは母に戻ってもらいたかったからで、修復不可能だと悟ったなら母のところにいくのだろう。
父を守るために心ならずも偽証までした優しい娘だから、父を見放してしまった自分を責め続けることになるかも。
判断を観る人に委ねる曖昧な描き方はずるくて好きではないけれど、この作品の場合は描く必要がなくこうしたラストがふさわしい。
緻密に構成された完成度の高い作品だが、残念なのは娘が11歳の設定なのに全然そう見えないこと。
どうしてそんなキャスティングをしたのか不思議だったが、娘役が監督の実娘だったとは…。