7.《ネタバレ》 桃井かおりの存在感が素晴らしいですね。
あの喋り方、表情。気怠さの中に垣間見せる女の弱さ、強かさ。
考えてみれば、彼女が主演の映画は初体験のはずなのですが、観ていて全く違和感を抱かない。
彼女が主人公なのは当たり前、画面の中央に映っているのは当たり前、と思わせるような魅力がありました。
そんな彼女を観賞する為のアイドル映画とすら言えそうな一作なのですが、舞台設定なども中々に興味深く、画面に映る街並みを見ているだけでも物珍しくて、楽しかったですね。
七十年代後半の日本といえば、自分は生まれてもいない、近くて遠い世界。
学生運動も下火となり、若者達が「権力に反抗しても何も変える事など出来ない」という、無力感に包まれていたと思しき世代。
そこで暮らしている人々の姿が、時代を越えて自らの青春時代と重なる瞬間もあり、何とも言えず切ない気持ちに包まれました。
そんな普遍性を生み出している理由は、やはり丁寧な人物描写にあるのでしょうね。
同棲している男と女とが、狭いアパートの中で
「ちゃんと自分の歯ブラシを使って欲しい」
「口を濯いだ水を、食器を洗っている隣で吐き出さないで欲しい」
などと言い争ったりしている。
現代の目線からすれば、ベタで退屈とも受け取れる日常の一コマから、不思議な説得力を感じる事が出来ました。
主人公の女性がメロンを食べる姿を、如何にもエロティックに撮ってみせる辺りなど「あぁ、当時は目新しい表現だったのかもなぁ……」と、気持ちが醒めてしまう瞬間もありましたが、総じて新鮮に感じる場面の方が多かったですね。
「主人公に素っ気ないが、魅力的な男である恒雄」「主人公に馴れ馴れしくて、ダメ男な橋本」という構図であったのに、それが逆転していく辺りなんかも面白い。
特に前者の存在感は強烈で、終盤にて妊娠を告げる主人公に対し「堕ろしてくれ」と答える辺りなんかは(うわぁ、最低だ……)と心底から嫌悪。
対する後者に関しては、段々と真面目で優しい人柄が明らかになっていき、ちゃんと彼女と結婚して責任を取るつもりだったと判明した瞬間には(良い奴じゃん!)と、胸中で叫ぶ事になりました。
けれど、悲しいかな、主人公の女性は恒雄を愛しており、橋本には愛情に似た何かしか抱いていないのです。
だから橋本と同棲していながら、平気で恒雄と浮気してしまう。
橋本に結婚を仄めかされた事で、初めて「愛していない存在から愛される疎ましさ」を理解する。
こういった場合、自分は主人公の女性に嫌悪感を抱く事が多いのですが、何故か本作は、そんな彼女の気持ちが理解出来たというか、同情すらしてしまったのですよね。
中でも「私は、ただ男を待っているだけの女じゃないからね」という台詞が、実に物悲しい。
それは結果的に「置いてけぼりにされても、本心では待っていた」事を告白してしまっているというか「愛されていないと薄々感じながら、愛する男に対して強がってみせている」心情が伝わって来るかのようで、本当にやるせない思いがしました。
この世には「痛いほど気持ちが分かる」と思わせる女優さんが、確かに存在するのだと、強く実感させられましたね。
そんな行き詰った暮らしの中で、堕胎の悲しみを乗り越えた彼女が、二人の男と決別し、自立する事を示して終わるエンディングは、非常に爽やか。
荷造りの最中に転んでしまっても、すぐに笑顔になって立ち上がってみせる辺りに、女性の力強さを感じられました。
ただ、自分としては(主人公にとってはハッピーエンドかも知れないけど、振られちゃった橋本君が可哀想だよなぁ……)と思えてしまい、そこだけが残念。
彼女は彼を愛していないのだから、仕方ない事かも知れないけど、出来る事ならば、彼女が彼を愛するようになり、結ばれて幸せになる結末なんかも見てみたかったものです。