108.《ネタバレ》 食わず嫌いはいけないという気持ちになり地雷を踏みにきてしまいましたが、問題はこれは何を描きたいのか?に尽きると思う。
在日の方々への差別?大阪のノスタルジック青春映画?反戦?コミック?
どれも伝わりづらいと自分は思った。(原作は知らないのですが)
大事なのはお互いを理解するという事であって、それで何が過去にあったからとか、
こうおもっているからと言い出せばもうそれはその時点で我がでてしまっているわけで、例を挙げればきりが無いし立場を変えれば意見も違う。
でも、お互い人間であり、互いを触れ合ってみれば理解し合えるのはこの映画に教えられなくても多くの人が判っている事なのでは?
それを、こういうシチュエーションを利用するのが個人的に好きになれません。
いつまで、誰かに感情を操作されなきゃならないのでしょう。
皆そんなに人種や歴史にこだわりがある?もうこういう事に気持ちを利用されるは止めない?という思いです。
井筒監督がTVで映画完成したのがうれしくて標識をへし折って回ったという話をして
いたのを記憶してますが、その曲げられた標識は誰が直して曲げられた標識が機能しない事に誰が困って、そういう標識を見た人がどういう気持ちで観るのかを考えると、申し訳ないけど井筒監督そんなに深く在日同和問題を理解し、他の人の気持ちを理解しているとは私は思えないなー。まあ、監督だから理解していなくても良いのかも知れませんが。時折人種問題に着目している姿を見るとちょっとね。
差別したり攻撃したりするのは相手がどういう人間だか判らないもしくは攻撃してくると思うから怖がって行う部分があるのだと私は思います。
それを一時の暴力で胸がすっとして、人種でおまえは過去の事をしらないからここにいて欲しくないなど書くのはそれはあまりに逆行していて単純すぎる考えでは?
そういう考えに縛られる事こそ不幸であるのでは。ある部分そう思うのは仕方無いと思いますが、全体がそういう考えに流れては駄目。あるあるの納豆みたいに自分自身のしっかりとした考えを(それがどういう考えであるにせよ)もつべきと思います。