37.《ネタバレ》 公開当時、「どうしてこんなに暗く、いつも雨が降っているんだ」「どうして敵がデッカードを助けるのか。全然敵らしくないじゃないか」などという馬鹿らしい批評のせいで、初公開版及び完全版には、冒頭からデッカードのナレーションが入る事になってしまいました。ナレーションというのはよく言われる様に、映画そのものを陳腐にしてしまいかねない作用というのがあるんです。初公開版及び完全版に入れられたナレーションというのは、まさにこのナレーションのデメリットの作用が存分に出てしまっていて、作品の質を見事に劣化させている。そしてラストはハッピーエンドでなければならないとの会社側の要求により、青空の下で滑走する車のシーンで終わらせるという、全く作品の雰囲気に合ってないものが付け足されてしまった。そういう誤った大衆併合主義による作品の劣化からブレード・ランナーを救い出し、まず自分の作りたかったものに直すんだということで制作されたのがこのディレクターズ・カット版なわけです。そして例のユニコーンのシーンが追加されたことにより、この作品は新たな深みを持つ事になります(ラストで刑事が折ったユニコーンの折り紙を見て、デッカードは確信した表情をとります。本人にしか知らないはずのユニコーンの夢をなぜ彼が知っていたのか。私が思うにやはり、デッカードもレプリカントなんだろうと思います)。この一連の経緯を見ていると、いつの世も本当の傑作というのはある面で先んじているのだな、と感じざるをえません。言うならばそれは、人々の先頭に立ち、新しい地平を切り開く冒険者の様相を呈しているといっていいでしょう。この作品の場合は、SFのフィルム・ノワールという、全く新しいジャンルを開拓した。言うならば、時代がようやく「ブレード・ランナー」に追いついた、ということなのです。 【あろえりーな】さん [ブルーレイ(字幕なし「原語」)] 10点(2008-08-14 22:33:02) |
36.《ネタバレ》 私には全体的にちょっと退屈でした。原因は、心理描写の粗さにあるのではないかと思われます。レプリカントが労働者として酷使された上に非常に短い寿命で生きねばならないという哀しみ、また、やめたはずのブレードランナーにまた復帰する主人公の苦悩、といった、登場人物たちがこれまでどんな時間を過ごしてきて、そして今どう感じているのか…という内面の情報提供への比重がとても少ない。その代わりに多くの時間が、煙る未来都市、雑踏、グロテスクな小道具など、「退廃的な未来都市」の雰囲気描写に使われていて、自分の中でドラマの時間が積み重なっていかないのです。なので、主人公がレプリを追いかけて殺してしまうシーン、なんだか「何もそこまでせんでも…」という感じがしてどうも入り込めませんでした。レプリたちや主人公(私は彼=レプリ派)の背景をもう少し観たかったです。そしたらきっと最後のレプリが寿命で死んじゃうところも涙なしには観られなかっただろうに…。 日本語の看板や舞妓?の巨大映像が煙で霞んだ雨のロサンゼルスに溶け込んで、独特の退廃的な未来像を創り上げているのには新鮮さがありました。 【クリロ】さん [DVD(字幕)] 6点(2008-06-22 18:12:33) |
35.この最終版でようやく『ブレラン』初鑑賞。ストーリー、ビジュアルともに噂通りの凄まじい作品でした。限りなく人間に近い【機械】を通じて「【人間】とは何か?」という永遠の命題に挑んだ作品かと。おかげで僕の頭の中では「『2001年宇宙の旅』~『ブレラン』~『攻殻機動隊』~『A.I.』」というヘンSF映画史の流れができてしまいました。機会があれば劇場版やファイナル・カット版も観ておきたいです。ちなみに僕はデッカード=人間派ですけど、そうなると「ピアノの上の写真」と「ユニコーン」をどう解釈するか…。う~ん、恐るべしブレラン。 【とかげ12号】さん [DVD(字幕)] 8点(2008-03-08 21:59:33) |
34.最初に最終版を見てしまったのがいけなかったのか、ストーリーをよく理解することができなかった。 【エムシュー】さん [DVD(字幕)] 4点(2008-03-02 19:27:00) |
33.《ネタバレ》 映画館に一人で見に行った。誰にも邪魔して欲しくなかったから。私はこのデレクタズーカットが一番好き。前に見たときは、前口上がひどく余計に聞こえた。カット版を見て思ったのは、封切された当時はこの世界に付いていける人間が少なかったんだろうと。SFが好きで良く見ている人には違和感ないけど。やっとカットしても解る人が増えたんでそうしたんだろうと勝手に解釈。超未来都市と、その下にくもの巣のように広がる人類のごった煮。上空から降り注ぐ雨、ピアノの音。人間くさいレプリカント、感情抜きにレプリカントを殺す人間。全てに明暗と陰陽があり、ストーリーに深さを与えている。レイチェルに愛情をもつデッガードの妙に不器用な所とか、オリガミ、小さなエピソードが最後に意味を持つ。ジャンルを超えていつも好きな映画のトップに名前を挙げている、一本。この世界観を作り上げた監督に敬意を表し、プラス1点。 【ロボット】さん [映画館(字幕)] 9点(2008-01-22 10:31:11) |
★32.《ネタバレ》 エンディングでの印象的な「ネクサス6」ロイのシーン。これほど印象的な映像シーンは、他に類を見ない。 【珈琲時間】さん [DVD(字幕)] 7点(2008-01-20 09:51:42) |
31.《ネタバレ》 これこそ人によっては人生観を変えかねないような映画だと思います。「SF映画」というジャンルは、現時代ではアクションを楽しみ、CGに驚き、娯楽性を高める映画という存在になっていますが、これだけは違います。まず娯楽映画というジャンルの区別に割った方はこの映画の良さはわかっていないのではないかと。まずスコット監督が描く未来描写はただ観ただけではわからない精密さがあります。闇に埋もれたビル街やそれに増しての酸性雨の表現。建造物内の構造も一見だけではわからない細かいディティールが所々に隠されています。ストーリーも完全版とはまた違う見方の出来る深さを持っているので、最近のアクションだらけの映画に飽き飽きしてきた方にもオススメできます。とにかく何もかもが濃く、これから先、これ以上の【近未来】を描くことは不可能化と思います。 【ユウジロウΣ】さん [ビデオ(字幕)] 10点(2007-07-29 20:42:11) |
30.哀愁漂う映像美に彩られた傑作。過去か未来か、東洋か西洋か、都会か田舎かわからない街の描写。常にしとしとと振り続ける雨。哀しみをたたえた登場人物たちの演技。レプリカントの運命は人間共通の哀感を表彰している。 【エンボ】さん [DVD(字幕)] 9点(2006-12-10 01:41:49) |
29.この作品の近未来観の素晴らしさは通常版で書きましたので割愛させていただきます。不満だったナレーションが無くなり、全く別の星のようなロケーションに違和感を覚えたエンディングも無くなり、ずいぶん良くなった、、と言いたいところですが、ぶつっと切ったエンディング(というよりエンディング無く終わってしまう)にはやっぱり不満。ヴァンゲリスの音楽も活きてこない。 皆様のデッカード=レプリ論を楽しく拝見しました。原作では、デッカードはアンドロイドを処分する際に憐れみを感じてしまった自分に困惑し、自分自身が人間であるかどうかという疑念を持つ場面があります。もうその時点で人間とアンドロイドの差異は無いということ。特別なテストでアンドロイドであると告げられるまで人間と思い込み悲しみ、楽しみ、怖がり、そして人を愛し生きてきたのなら、アンドロイドはすでに人間と同じなのである。この映画がデッカードをレプリカントである可能性を提示したのは、原作同様に人間とレプリカントに差異は無いという提示だと個人的には思いました。 【R&A】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2006-10-17 13:39:00) |
28.《ネタバレ》 最終版(ディレクターズ・カット版)ということで、興味津々で観ました..ラストが違うんですね~ ハッピーエンドじゃない..私的に、両方とも、良いところがあって、どちらも好きです... 【コナンが一番】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-10-11 12:28:19) |
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27.《ネタバレ》 リドリースコット監督は、ディカードを「レプリカント」として描きたかったのかもしれない。しかし、個人的にはディカードを「人間」と捉えた方が面白い解釈ができるのではないかと思う。というのも、本作では「人間」と「レプリカント」とが実に『対比』的に描かれていると思う。 「自己及び愛する者の命」のともし火がまさに消えようとしているレプリカントは必死になって、「命」を延長しようとする方法を探っている。この世界では、「命の重さ」を知っているのは、人間ではなくレプリカントではないか。「人間」は与えられた命の重さも考えずに、「目的」もなくただただ漠然と生きているだけである(ディカードのような)。そんな「人間」であるディカードに対して、「命の重さ」を教えてくれたのがレプリカントのロイではないだろうか。ディカードとロイの最後の追いかけっこは、「死にたくない」とディカードに必死にさせることにより、「命の重さ」をディカードに知らしめようとしている。まさにレプリカントが体験している「寿命(時間)」との追いかけっこを、「人間」であるディカードに体験させているのではないか。ディカードを「レプリカント」と捉えるとこのような見方ができなくなるので勿体無いと思う。 そして、「人間」であるディカードはレプリカントから教わるだけではない。レプリカントのレイチェルに対して、「感情の表わし方」を教えている。感情を上手くコントロールできず、表現できないレイチェルに対して、「愛情の示し方」を教えたのはディカードだろう。やがて「愛情」は「生きる希望」に繋がり、レイチェルもまた「命の重さ」を実感できるはずだ。 「人間」が「レプリカント」に教えられることがあるのと共に、「レプリカント」に対して教えることもある。これこそ人間とレプリカントの「共生」(最後のディカードとレイチェルの逃避行)に繋がるのではないか。「レプリカント」は、過酷な労働を強制するために創られた道具でも、狩られる対象でもなく、近未来では「人間」と共に生きる「パートナー」となるというメッセージが込められているのではないか。また、ディカードがレプリカントだとすると、最後のロイの独白が意味をなさなくなってしまう。過酷な生き方をしたロイがレプリカントにそんな話をしても、ただの内輪話であるだけで意味をなさない。あれは「人間」に対して語られなくてはいけない内容である。 【六本木ソルジャー】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-08-30 23:07:18) (良:2票) |
26.《ネタバレ》 通常版も見ました。 デッカード=レプリという説があり、議論がなされていますが。私は肯定派です。そうでないと監督がほぼ全てのシーンといっても良いほどに刷り込まれた層が無駄になってしまうからです。これを人間のような感情が生まれたレプリの悲しい話と取るよりは、もともと仲間であったデッカードが記憶を刷り込まれ、ブレードランナーとして生まれ変わり昔の仲間をその手にかける、、こちらの方が悲しくて泣けます。この映画には答えは無いですが、監督が仕掛けたヒントから自分の物語を作り上げる事の出来る数少ない映画の一本だと思います。この映画の1シーン1シーン何も考えずに見ると凄く損します。デッカードが部屋の鍵を落とすシーンやうどん屋の台詞一つ取っても私は自分なりの意味を見つけました。監督は天才か私の勘違いかどっちかです。 |
25.以前から観たいと思っていたのですが、やっと観ることが出来ました。今観ると多少の違和感はあるものの、作品の持つテイストは十分に近未来の雰囲気を醸し出しています。公開年度を考えるとこの作品が如何に凄い作品だったかが判ります。自分は他のバージョンを観ていないため、あくまで本作のみの感想になりますが、思っていた以上にヒューマニズムに溢れる映画という印象です。ただ淡々とストーリーが進むため退屈に感じるかもしれません。全体的に説明不測の感は否めませんが、かえって脳内補完をすることで作品に深みを与えている気がしました。切ないラストも好みです。見直すごとにいろいろな発見がありそうな作品だと思います。 【目隠シスト】さん [DVD(字幕)] 7点(2006-04-22 13:40:30) |
24.劇場公開版ではなく、こちらを先に見ていたらどうだったろうか?ボギー風のナレーションや楽観的な結末、美しいビスタは姿を消し、タイトに絞られたBR。そのかわりにデッカードの身上を仄めかすユニコーンが視界を駆け抜ける。H・フォードのモノローグは確かに洗練とは程遠いが、既にインプリントされた声を頭から消し去るのは難しい。あれを嫌っていた人間も情報だけはしっかり頂いているのだし。ラストの印象も全く違うので好みが分かれるところ。複雑な経緯があって世に出たコンクルージョンだが、自分にはBRヴァリエの一つでしかない。 【レイン】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-02-19 18:21:54) (良:1票) |
23.《ネタバレ》 ヨドバシで聞いたらなんと廃盤だと言われたけどほんとですか。仕方なくツタヤで汚いビデオ。 ううむ。確かにむかーし見た劇場版とラストが違うように思うな。原作読んでませんけど、ちょと興味ぶかいと思ったのは、「4年」ていう期間の区切りの意味。「感情が芽生えるころに死ぬように」ですよね。「4年」て意味深だよねー。だって「4年」て「異性間の愛情が持続する期間」て説があるでしょ。「4年」で相手を取り替えていくのが「自然」の理に適っているという。それがほんとかどうかは知らないが、どうも「4年」ていうのは人間の感情生活において「ひとつのターム」なのではないでしょうか。そんでレプリに感情が芽生えるまで4年。意味深だ。あと、ロイがデッカードを助けた理由は、「他人と会話することでまだ生きて(stay)いることを確かめていたい」と、「せめて誰かに看取られて死にたい」だと思います。しかしまあ、久ーしぶりに見たけど説明が無さすぎて本当に疲れた。《追記》日本とキリスト教圏イスラム教圏の観客では人造人間に対する受け入れ方は全く違うものであると思われる。「人間と変わらぬ外見をもち、感情もある」なら仲間として受け入れるかといったら、それは「創造主」を信じる人にとっては「絶対に」受け入れることはできないはずだ。なぜなら彼ら「人造人間」は「神のつくりたもうた生命」ではないから「祝福」されていないのだから、自分たち人間とは「絶対に」同じではないし、まして「仲間」ではない。だから「物扱い」できる。創造主のいる世界では、神に祝福された者(母親から産まれた者)だけが「人間」であって、どんなに相似形であっても根本的に違う。ロイがAA級のネクサスであってもそれは同じ。仏教圏や儒教圏の作品ではないのでそういった前提で観る必要がある。 【パブロン中毒】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2006-01-29 01:00:43) |
22.今から見る人は絶対最終版を見ましょう。 劇場公開版のほうが分かりやすいかもしれないが、映画としての完成度は最終版のほうが圧倒的に上です。 【トクタ】さん [DVD(字幕)] 10点(2005-11-16 12:30:55) |
21.たぶん、当時はすごかったんだろうな、と思った。面白い作品だ。レプリの死に方は、映画史上でも最もかっこいい死に際としてノミネートされていいと思う。だが、やはりどことなく時代を感じてしまうのも確かだ。「2001年宇宙の旅」は全然古さを感じなかったのだが…どこが違うのだろう。あと、気になったのはモブシーンで日本語が入っているところ。同じ日本語のセリフを違うシーンで使いまわしたりとか。「おいこの声さっき聞いたよ」てだけでなんか見る気がなくなってしまう。まあ向こうの人はわかんないからいいんだろうけど、細部までこだわって欲しかったなぁ…。これが最終版か…。 【コダマ】さん [DVD(字幕)] 6点(2005-11-03 04:36:09) |
20.後のSF作品に多大な影響を及ぼしたと言われる本作品の世界観は 背景や設定・美術等全てを含めて独自の路線を確立したと言える。 それもこれもリドリー・スコットの銀シャリ映像が成せる業。 2019年・・・今が2005年とすると14年後の世界であるが 流石にここまでの世界にはなってはいないと思うが 82年当時の感覚からすると21世紀はこのぐらいの進歩(?) を遂げていて当然と思われていたのだろう。 寧ろ現代の状況を鑑みれば科学の進歩はある意味停滞(低速)気味だ。 「人は記憶でのみ人と足り得る」 人とレプリカント(サイボーグ)を分ける重要なキーポイントとして 押井守監督作品【GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊】の 人形遣いがこの言葉を上げていた。 正に本作のレイチェルやロイもこれに相当する。 人より並外れた頭脳と体力を持ちながら寿命は4年。 劇中タイレル博士のロイに言った言葉「美しい火は早く燃え尽きる」 これは彼らにとって死の宣告以外の何者でもない。 この時のロイの心情は癌宣告を受けた患者以上の失望感と 絶望感と屈辱に苛まされた事だろう。 そして彼等に対する生きる目的は何なのか?という問い掛けはもはや愚問に近い。 生きるだけに足掻くことが唯一、生きる目的なのだと。 |
19.そもそもこの映画、完全版とか最終版とか、ノーマル版とかあるらしいが、全部違うのかしら?僕は最終版を見ました。ブレードランナーくらい見ておかないととおもいまして。生きたがるレプリカントの気持ちは切ないです。特になにも語らないからこそ、憂いをおびた彼らレプリカントの瞳に魅せられます。 |
18.原作も有名で、映画とは内容がかなり違うのにどちらも高評価、という珍しい作品。もちろんストーリーは原作のほうが深く素晴らしいけれど、テーマを絞って2時間でこの世界を散漫にならずに映像化したのはほんとすごいと思います。ただ時代のせいもあるでしょうが、この作品の影響を受けたその後の漫画などのほうがわかりやすく感動もしたし、もしこの作品を当時見ていても前衛的すぎて、すごいとは思えても楽しめなかったと思います。退屈っちゃあ退屈だし(でも実は原作は読みづらくて最後まで読破していない気がするので、退屈でも最後まで見れた映画はその点ましですかね)。点数のほとんどは世界観に、そして俳優陣の演技とストーリーに少しずつ。 【るいるい】さん 6点(2005-01-30 11:29:57) |