3.《ネタバレ》 (ネタバレあります。ご注意ください)
『人数の町』の住民は、拉致されたり、脅されたりして集められた訳ではありません。彼らは望んで囚われの身となりました。辛く苦しい境遇にある者からすれば、自由が制限されようとも、衣食住と身の安全が保障される生活は十分魅力的だったことでしょう。さらに責任を問われぬ人生はストレスフリーです。もちろんこの選択が愚かなのは明らかですが、追い詰められた人間は選択を誤るもの。それに契約書の中身も読まずにサインする者が、詐欺を回避できるはずもありません。『自由』と『権利』を奪われ、『個』であること、責任を取る事を放棄した者たちの集合体『人数の町』の本質とは、何も残せず、何も積み上げられず、時間だけが無為に過ぎてゆく『虚無』そのものでありました。自覚はなくとも、彼らはみな“緩やかな自殺”あるいは“死刑囚”を選んだと考えます。『人数の町』が用意した居場所とは『棺桶』だった訳です。それに気づいた主人公は脱出を試みたものの、一度手放した『自由』と『権利』の再獲得は叶わず。それもそのはず。チャレンジする『自由』や『権利』も既に無いのですから。それでも足掻いたことが功を奏したようで、棺桶からは抜け出せたよう。彼は『死刑』を免れ『無期懲役刑』に服することが決定しました。
所謂『脱獄もの』の一面がありながら、大した下準備もなくあっさり主人公は『人数の町』(というより収容所かな)を抜け出します。おいおい、ここが見せ場なんじゃないの?サスペンスとして緩くない?と不思議に思いましたが、そもそも住民は『死に体』『詰んだ状態』という意味だったのですね。『非人道的な所業』を彼が世間に告発すれば何とかなる気がしないでもありませんが、“これら全てがこの世の仕組み”だとすれば、抗う術などない道理と言えましょう。それにしても住民が課された作業が実に興味深い。新薬の治験、身代わり投票、偽装テロやネットのバズり・炎上の社会的価値(効果)は理解できますが、パイプの栓回しって一体何だったのでしょう。あまりにシュール。“この世には意味が分らぬ仕事がある”の比喩かしら。『世にも奇妙な物語』の一篇として30分くらいで纏められていたら、語り継がれる神回といったところでしょうか。