1.1931年のサイレント作品『ドウロ河』から、今なお現役バリバリの監督。トーキー、カラー化のターニングポイントで多くの作家が淘汰されていく中、積極的にその技術推移に適応しつつ、作品を問い続ける強かさがここにある。
文学・哲学テクストをめぐる、際限のない対話と独白劇。マリア・ジョアン・ピアスのピアノ演奏。
言語、音楽、観念を肯定し貪欲に採り入れながらもなお映画を逸脱しないのは、それらを乗せる映像即ち視覚に対する意識の強度とセンス故に他ならない。
ピアノ曲は指という身体運動と共にあり、「神」と「罪」という主題は光と闇と色彩と共に、画面に定着される。巻末において登場人物たちが交し合う接吻という行為自体の感動的なさま。
ショットはただ1つの例外を除き、ほぼフィクス。舞台は2ショットを除いて精神病棟を出ることがないが、画面の奥行きと陰影の深みは圧倒的吸引力を持つ。
音、色、光に対する卓越したバランス感覚と、それらを映画へと総合していく意思が漲る。
そして、最後のショットと音がまさに映画を締めくくる。