188.《ネタバレ》 この映画の大らかさが好きな人は、きっとカウリスマキの大らかさも好きになってくれると思う。
ただ、カウリスマキがフィンランドの町並みから社会の底辺や人々の闇も捉えるのに対し、この映画は太陽の光を注ぐように明るい、何処か陽気な雰囲気を終始貫く。
水のイメージとカモメたちのイメージから始まり、一人一人客が増えていくように、徐々にハマッていく作品だ。
地を歩くカモメ、かもめ、かもめ、かもめ。
ガラガラのレストラン、窓を隔て、女の耳に御夫人たちの噂は入ってこない。
客も来ないので居眠り、一人で泳ぐ、日課の合気道・・・よく一ヵ月も持ってたのが不思議なほど暇そうな顔で登場してくる。
「ガッチャマン」の歌を通じて出会う様々な人々、ニャロメを着た青年。頭から歌詞がスッと出てこず、止まる指。それが奇妙な巡り合わせで再びペンが入っていく歌詞。
歌が繋げる。
渋いオッサンのコーヒー講座、ちょっと怖いかもめの絵(「ムーミン」風?)、久々に食べる故郷の味に泣く、
アラスカ、タヒチ、ハモる女二人の談笑、森で花摘み、おにぎりを食べ、それを珍しそうにじっと見つめる人々。
ターヤ(Tarja Markus)のエピソードが一番面白かった。
無言でいつも店を睨み、入ったかと思うと無言で盃をグイッ、無言で見つめ合う。お?イメージ通り酒も強いのか?と思った瞬間にバッターンと倒れる。
胸にためこんでいた思いを打ち明け、帰らぬ夫の事を想いながら藁人形に釘を打ち込む。夫のTVも視界も砂嵐状態。
人魂のように揺れる電灯、サングラスで休日を満喫。ターヤもスッキリしたのか、大分女性らしい格好に。
泥棒を合気道で打ちのめす場面。この映画で唯一と言ってもいい対人へのアクション。しかしそれでもっと大きな事件が起きそうで起きない、この緩さ。
赤ん坊のようにコーヒーメイカーを大事抱きかかえる、黄金のように輝く花。
食堂もプールも孤独ではなくなった彼女の姿を映して物語りは締めくくられる。