10.アニメーション作品であることの必然性と可能性を、文字通り「無限」に広げて、多元宇宙のありとあらゆるスパイディたちが織りなすマルチバースの世界を自由闊達に表現してみせた“スパイダーバース”シリーズの第二弾。
他のスパイダーマン映画と同じく、“続編”であることの優位性を活かしたアバンタイトルのシークエンスは、情報量が極めて多く、42歳の中年男性の脳内は早々にメモリ切れを起こしそうになり、情報処理能力が鈍化していたことは否めない。
前作が生み出した「革新」を更に突き詰め、その映画的な力量がパワーアップしていたことは間違いない。
めくるめくアイデアとイマジネーションの“渦”は、エンターテインメントを超えて、もはや芸術的ですらあった。
スパイダーマンとなり、大いなる力と大いなる責任を与えられ、同時に多大な喪失を経た10代の主人公マイルズ・モラレスは、多元宇宙のスパイディたちと共闘し、「一人ではない」という勇気を得る一方で、孤独を深めている。
そのキャラクター描写は、極めて特異な境遇でありつつも、多くのハイティーンの若者が抱える普遍的で“青臭い”心象を表現しており、とても興味深く、自分自身もそういう時期を経てきたことを思うと感慨深くもある。
マルチバースの更に深淵に引き込まれた主人公は、そこですべてのスパイダーマンに課された“宿命”を突きつけられる。
だがしかし、若きスパイダーマンは、“青臭い”からこそ、それに対して全力で抗い、多元宇宙を股にかけて逃走する。
それは、この現実世界の“大人”たちが知らず知らずのうちに手放し、許容し、諦観してしまっている「可能性」に対するアンチテーゼのようでもあった。
普遍的でありながらもとても深いテーマを物語の核心に孕んだエキサイティングな続編だったと感じる一方で、やはり作劇においてありとあらゆるものを詰め込みすぎている印象は強く残った。
それが自分自身の情報処理能力の低さ故と言われれば反論できないけれど、もう少しスマートにストーリー展開の“交通整理”をすることは可能だったのではないかとは思う。
思いついたアイデアやイマジネーションのすべてをビジュアル表現せずとも、観客である人間は空白を想像力で補えるわけで、その想像の余地を残すことが、もっと広い世界を創造する要素だとも思う。
そういう意味で、やはり本作は溢れ出るクリエイティビティが、ストーリー展開にそのまま呼応するように氾濫気味で、うまく収拾できていない。
でも、本作が次作最終章へのブリッジであるということを踏まえると、その氾濫に伴う混沌こそが布石なのかもなとも思える。
つまるところ、本作の正当な評価は、次作での物語の結実次第なのだろう。
果たして主人公マイルズ・モラレスは、逃走先の“世界”で、別の“可能性”の自分自身と衝撃的な対面を迎え、本作は終幕する。
とても宙ぶらりんな結末だけれど、別次元ではスパイダーグウェンが、“バンド仲間”を集結させて、我々の高揚感を煽る。
「可能性」の大渦に自分自身の思考がフリーズしないように、せっせとメモリ増設して次作を待つとしよう。