6.終始無表情のまま、あまりにも大きな悲しみと怒りを膨らませ爆発させるジャッキー・チェンが、哀しく、怖い。
“なめてた相手が殺人マシーン”モノのエンターテイメント性と、スパイ映画のスリリングさと、ジャッキー・チェン映画のアクション性が見事に融合した映画世界はとてもエキサイティングだった。
アジアを代表する国際的アクションスターも60代後半に差し掛かり、流石にその風貌は老け込んでいる。
特に今作では、役柄的にも“隠居”状態で唯一の家族である愛娘と残された幸せを噛み締めつつ生きている初老の主人公という設定。
ジャッキー・チェンらしい、“やりすぎ”と“下手”の間をゆく役作りもあり、足元もおぼつかない様子を序盤からくどいほどに見せる。
そんな主人公が理不尽極まる娘の死を目の当たりにして、己の中の眠れる狂気を目覚めさせていく様には、荒唐無稽はあるけれど、それ故の独特の不気味さもあり目を見張るものがあった。
主人公の男が“ジャッキー・チェン”であることを十分に理解しつつも、こんなしょぼくれた爺さんがどうやって復讐を果たすのかと思わせてくれ、観客の興味の持続が非常に巧みだったと思う。
このあたりは、「007」シリーズでも手腕を発揮してきたマーティン・キャンベル監督のなせる業だろう。
そして、眠れる“ドラゴン”が短期間でその能力を呼び起こさせるくだりにおいては、律義にも“トレーニングシーン”を挟み込んでおり、その演出においてはジャッキー・チェン自身の変わらない愚直さが溢れ出ているように思った。
その短い「特訓」のシークエンスは、思わず笑ってしまったけれど、主人公を演じているのがジャッキー・チェンだからこそ、妙な納得感を持たせてくれ、その後の格闘シーンを違和感なく観ることができたと思う。
また、今作とは全く関係ない娯楽映画史の文脈を辿ると、“元・香港国際警察(ジャッキー・チェン)” VS “元・英国秘密情報部(ピアース・ブロスナン)”というスーパースター同士の構図も見えてきて、映画ファンとしては殊更に高揚感が高まった。
主人公は、驚異的な身体能力と破壊工作技術で、テロリストチームを追い詰めていく。
ただし、初老の元特殊部隊エージェントという主人公の設定がこなすアクションとしては、ちゃんとく抑制が効いており、彼が対決し撃滅する相手側のレベルとしても、決して非現実的ではなかった。
ラストの顛末においても、ポリティカルサスペンス的なシビアなスリリングさが加味されていて、映画全体の精度は極めて高いと思えた。
ジャッキー・チェンにおいては、「アクション映画引退」という報をこの十数年の間で何度も聞いた気がするが、まあこの映画で見せる程度のアクションは彼にとってはその部類に含まれないということだろう。
それならば、稀代のアクションスターの“非・アクション映画”における新境地には今後も期待できる。