25.この作品を見てると、何となくムンクの絵画を想い出しちゃったりします。例えばあの、「生命のダンス」の、生命感の無さ(笑)。 映画にしては人物の動きが乏しく(まるで調度の一つとして存在するような)、しかしカメラはその壮麗ながらも空虚な雰囲気の中を、緩やかに動き続けたりして、どこまでも、落ち着かない感覚。噛み合わない視線。 話によれば、一応は整合性みたいなものを内在しているらしく、謎解きをすれば出来なくは無い、というコトなのかも知れないけれど、私のような不真面目な人間には手に余るので、分析してみようなんて気は全く起こりません。例えば、セリーがいくら厳格なルールに基づく作曲技法であったとしても、それが聴き取れないのでは、如何ともし難いワケで・・・。 菊地秀行さんが著書(「怪奇映画ぎゃらりい」)の中で、怪奇映画ベスト100の一本としてこの作品を挙げてたような記憶が何となくあるのですが、確かにこの作品、そういう楽しみ方が一番楽しめるような気がします。 【鱗歌】さん [インターネット(字幕)] 7点(2022-01-30 10:07:54) (良:1票) |
24.《ネタバレ》 人の記憶の曖昧さ、存在の不確かさを表現した前衛作品である。幾何学的図案の庭園、大型の鏡、動と静、雑踏と静寂、移動するカメラ、繰り返される映像と語り、噛みあわない記憶と会話、男女彫像の解釈の違い、女の写真の説明の違い、物語が本編と入れ子になっている劇中劇、ゲームに勝ち続ける男、挿入される射撃練習の場面、挿入される女が死ぬ場面、不穏な音を奏でるオルガン、そのどれもが不安を駆りたてる、それでいて不快さはない。物語の意味は不明でも、静謐で硬質な映像美は心の深層に滲み込む。傑作だ。 壁、扉、廊下が続き、幾何学的庭園を持つホテルは、記憶が迷宮であることの象徴。 たびたび服装が変わることで現在と過去が交差していることが示される。 男女彫像の背後の風景に泉水であったりなかったすることで、男女の記憶に大きな相違があることが示される。 夫が男にゲームに勝ち続けるのは、夫が女(妻)の支配者であることの象徴。 一年前の場面で「一年目に会った」という会話があるように見える。時間がループしているのか? 女が射殺される場面は、不安が嵩じた女の悲観的幻覚。 男は女に記憶を思い出させようとするが、二人が結ばれた場面になると、男の記憶も曖昧になっていく。強姦か同意か?しかしそのことが重要でなくなるほど事態は緊迫している。 女の着る羽毛の服は、現実から飛翔したいという願望の象徴。 男が乗った石の欄干が崩れる場面は、女が過去を思い出した瞬間。幾何学の迷宮の一角が崩れた。女が落して割ったコップの欠片を給仕が拾う場面は、過去を拾い集めることの象徴。過去を思い出したことで、女は男を受け入れ、駈け落ちを決意する。夫には妻がいなくなる予感がある。女は、夫が駈け落ちを阻止するだけの時間的猶予を与える。二人が去ってから夫が現れる。夫は何を思うのか?二人はどうなるのか?ループから抜け出せるのか?すべては死者の世界の物語なのか?すべて不明、明確な答えのないまま映画は終る。まるでだまし絵のように、現実の世界が虚構の世界に、虚構の世界が現実の世界につながる。重畳たる虚構により現実が創造される稀有な作品。その構成と技法は芸術の域に達している。 合理的な解釈すれば、「因習に満ちた社交界と愛のない家庭生活に倦んだ女性が、不安を抱えながらも、愛を見つけて、自らの殻を破って新しい世界に飛び出していく」のを表象的に描いた作品となるだろう。 【よしのぶ】さん [ビデオ(字幕)] 9点(2014-08-17 01:49:36) |
23.一番楽な解釈は「記憶とはこうあやふやなものです」なんだけど。去年のことか今年のことか分からなくなる迷宮としての庭園と建物。ラストで逃げようとする二人が今年なのか(去年だったらこうして今年出会う必要がない)、それならそれを回想している話者は、いつの時間に所属しているのか。手すりから落ちた男、夫に撃たれた妻は誰の想像なのか、などありまして、結論のない推理小説なのだ、と割り切ってしまえれば、一番いいのだが。引き出しから写真が出てきて…なんてあたり、ゾクッとする瞬間は多々あります。ゆったりとした移動の美しさは、間違いなく実感。フランス語ってのは、こういう元気のない映画にはピッタリですなあ。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 7点(2013-06-13 10:01:16) |
22.開始早々、五分で深い眠りへと誘ってくれる睡眠薬のような映画。 絵画的、幻想的、抽象的、前衛的、幾何学的、無機質、怠惰、ミステリアス、サスペンス・・・。 男と女の心理ドラマを卓抜な演出で描いており、まるで難解なパズルを解いているよう。 過去と現在の時系列さえバラバラという手の込みようだが、服と背景で判別できるように、 取っ掛かりはちゃんと用意されてます。知恵を絞っても、真相は霧の向こうにあるがごとく。 脳みそを嫌というほど刺激してくれる作品だが、睡眠をたっぷり取ってからの鑑賞は必須。 【MAHITO】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2012-08-05 01:49:02) |
21.まるでガマン大会のごとき2時間でした。えー、女のひとのイヤリングがきれいだったです。あとお庭も白いお部屋もきれいだったです。私ゃ小学2年生か。 【tottoko】さん [CS・衛星(字幕)] 3点(2012-06-24 12:20:40) |
20.《ネタバレ》 映像が物の客観を伝えるもの。しかし、事柄は、各人格の主観のからみでしか、浮き上がらせることはできない。男の主観が語る、女の主観が語る、現在を描写する客観が挟まる。その客観をカメラが補足する、もう一人の男の話が客観として割り込む。そういう構成で、作者は考えた。後は、どう組み合わせるか、この組み合わせのはめ込みに、工夫を懲らそうか、む、それが芸術だねって感じでおしゃれに行こうか。ばらばらにはめ込んでね。時間という客観を破壊しなきゃ。舞台が同じだから、過去と現実をちょっといじくってみようか、ほら、過去の回想場面に現在の会話をいれるとか、その逆だとかおもしろいんじゃない? マイナーな役の人は、ちょっとじっと静止してくれない。そうすると、ほら、なんかマネキンを配したみたいに、映像に立体的な感じが出るし、全く本件に関係ない外野って感じもでるし、思考が回る瞬間の一瞬を表していそうで、頭の中がくるくる回るって感じが出るでしょう。それに、フランス語の語感も、なんか、アンニュイな感じ、これを繰り返すと、不思議だが、心の苦しみの感じでたりしてね。バラック風なBGMも苦悩を表現するのにいいよね。画面のシンメトリーも映画自体が細かく作られていることを表すのにいいよね。または、人間心理の構造を示しているし、心理主義かって…… なんて、考えて作った映画なのじゃないかしら。話は、三角関係でどっちを選択するのかって、単純なんですけど。でも、最初は、男性の妄想と、女性の恋に対する、恐ろしいばかりの、忘却、って、平行線で最後までいくのかな、とか思ったら、(そこら辺を「羅生門」を参考にしたんでしょうけどね)、それなりに、女性の葛藤があって、普通のエンディングになりました。平行線のままのほうがよかったりしてね。 【K-Young】さん [DVD(字幕)] 9点(2010-05-05 22:30:17) (良:1票) |
【にじばぶ】さん [ビデオ(字幕)] 3点(2007-10-13 00:02:45) |
18.前衛的手法や前衛的思想のもと作られた映像というのはそれだけで価値があるのかもしれないが、残念ながらこの作品は私を魅了させてくれなかった。全くわけがわからん映画に魅力を感じることは多々あるわけですが、その魅力がどこから来ているのかが自分でもよくわからんことも多々あるわけで、反対にこの作品がなぜ私を魅了しないのかもよくわかりません。アラン・レネの代表作であり世界的にも評価の高い作品ゆえに悔しいです。最初の数分は静止する人物をカメラがス~っと移動しながら捉えた画に、おぉ!っと思ったのですが・・・。けして長い映画ではないのですが、長く感じました。ただ、絶賛されているコメントを読み、再見してみようかなという気になってきています。でも、もうちょっと時間を置いてからね。 【R&A】さん [ビデオ(字幕)] 4点(2006-09-27 13:51:56) |
★17.《ネタバレ》 デルフィーヌ・セイリグがひたすら美しい。カメラも全篇彼女の美しさに陶酔しているようです。フランス語の響きの気持ちよさも堪能できます。 【藤堂直己】さん [ビデオ(字幕)] 10点(2006-08-01 12:02:44) |
16.あるパーティーで出会った男女が去年起こった出来事について回想していくという、正しく「去年マリエンバートで」というタイトルが指し示す通りの物語。発想は良かったのですが、余りにも前衛的というか実験的すぎる作品なのでイマイチ入り込むことが出来ませんでした。というかそれがこの作品の売りなので受け入れられなければ全く駄目なのでしょうが…(汗)。現在と過去、そして思い出が交錯していく手法は当時にしてもかなり斬新だったろうと思われるので、個人の好き嫌いは関係なく技術面は高く評価します。事実、音楽とカメラワークは超が付くほど素晴らしかったです。どうやら自分は完全にこの映画の招かれざる客だったようですが、いつかこの映画の良さが理解出来る日が来ることを願いつつ6点で保留にしておきます。それではまた来年!(何が) 【かんたーた】さん [ビデオ(字幕)] 6点(2005-10-16 21:16:17) |
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15.つーかね、俺が悪いんだ。徹夜で大学行って授業の後、図書館で『惑星ソラリス』(3時間弱)観たんです。その後に何を間違ったか本作を立て続けに観たんですね。はい、ここ笑うところですよ~。…頭よじれるって!!思考回路はショート寸前ですよ!!いや、ホントに。「えっ?この男は詐欺師?」「ん?この女がハメてんのか?」「いや…違う?この男言うてることオカシイぞ…」「女は記憶がないのか!?」「うわっ、またこの音楽鳴った!何事や!?」あわわわわわわわわ。結局、本当にマリエンバードだったのかどうかもわからず。何がわかった?何もわからず。ただただ頭がフル回転。今回はそういうことにしておいてやろう。今度会う時は負けないぞ!!でもこういう刺激的な映画はもっと観たいですね。つまらないという印象がないということは何か僕にわからないところでこの映画感は統一されていたってことでしょう。 【ようすけ】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2005-10-12 00:59:57) |
14.紙芝居...ビデオで5倍速サーチで見ると丁度良いです。 【マイケル】さん 5点(2004-03-16 15:15:33) |
【zero828】さん 9点(2004-02-25 22:03:53) |
12.好き嫌いのはっきりわかれる作品です。この作品を理解しようと思って観るものではありません。左脳ではなく、右脳で受け取るべき作品なのです。ちなみに、映画史上、音楽のほとんどをパイプオルガンのみで通したのは本作のみです。お好きな方はすみやでサントラをご購入されることをおすすめします。 【伊達邦彦】さん 10点(2004-02-23 04:29:54) |
【anemone】さん 0点(2003-12-13 01:22:45) |
10.何が現実で何が夢なのか、全てが現実かもしれないし、全てが過去かもしれない謎に包まれた映画ですが映画そのものが一種の小 宇宙を形成しており、直ちにこの独特の異空間に吸い込まれてしまった。感覚が高鳴る映画であることは間違いないと思う。 【たましろ】さん 9点(2003-11-29 23:11:14) (良:1票) |
9.流麗な移動撮影にしろ、端正な構図の画面設計(あの幾何学的な庭園!)や美術、華麗なココ・シャネルの衣装にしろ、一見まさに映画そのものであるように思えて、実のところこれは、すべてのカットやシーンがアラン・ロブ=グリエの脚本(=文学)の一語一句を、文字通り形象化したものにすぎないのでは…と、ぼくは見ました。それはそれでアラン・レネ自身が意図したものであるのかも知れないけれど、一方で「映画」とは決して文学の…コトバの”従属物”ではないと信じる者にとって、これは一種の映画の「敗北宣言(!)」みたいなものではないか、と。ためしに、ぜひかつて単行本として出版された脚本を読んでみてください。たぶん、映画化された本作以上にイマジネーションをかきたてられる、スリリングなものであるはずです。確かにこの映画は見事な「イメージ=(映像)」の構築品ではあるけれど、その実これは「(映画的な)イマジネーションの廃虚」であると、畏れ多くもぼくは「否!」と叫びたく思うのです。ファンの皆さんの、「何をエラソーに」とお叱りを受けるのを覚悟の上で。 【やましんの巻】さん 4点(2003-11-17 16:45:51) (良:1票) |
8.ずっと、この庭園を歩いてみたいと思っていました。だいぶあとにドゥービーブラザースの「ホワット・ア・フール・ビリーブス」を聴いた時に、この映画を思い浮かべました。得点が低めなのは名画座で「暗殺のオペラ」と2本立てで見たせいです。 【omut】さん 5点(2003-07-08 13:05:08) |
7.結局のところ難解な映画ってのはいくらでもとっかかりがあるわけで、自分なりの解釈が許されるわけですから、食わず嫌いしないで観てもらいたいですね。 【じゅんのすけ】さん 8点(2003-06-01 18:09:20) |
6.え? これは10点でしょう。むかし、自主上映の団体があって、赤字がひどくなると、この映画で急場をしのいだ訳です。 |