5.《ネタバレ》 私の愛してやまない『男の子』の目覚めと終焉の物語。 男の子のキラキラが眩しくて魅せられて、 恋する気持ちはよくわかる。 でも現実に永遠の『男の子』などいない。 一歩間違えるとただの無責任男という迷惑極まりない存在に成り下がる。 それを見たくないという、オンナのいいわけ。 【なちぐろ】さん [地上波(字幕)] 5点(2007-08-07 21:53:24) |
★4.《ネタバレ》 監督もさることながら原作をこなしたジェーンバーキンの多才ぶりに驚かされます。 みなさん書いていらっしゃるとおり、オープニング映像は秀逸ですね。とはいえ、こんなところにファミコンゲーム「スパルタンX」が出てきていてびっくり! 劇中に出てきた「日本製の計算機」ともども、80年代の日本は世界の最先端を行っていた?ということがこんなところから分かったりします。 ストーリーの繊細さにもそうだけど、ジェーンバーキンの魅力にやられました。 |
3.《ネタバレ》 【注意:カンフー映画じゃありません】そもそも母親が娘の同級生と恋に落ちるというストーリーからして何やらアブナ気だけど、ついつい興味本位で見入ってしまいます。特にオープニングシーンは最高!アニエス・ヴァルダ、センス良すぎです。それから「愛は最大の神秘よ」とか言って応援してしまうお祖母さんも凄い。普通止めるだろ~、理解力有りすぎです。それにしても末っ子のルーは可愛いですねぇ(変な意味じゃなくて純粋に)。彼女は物語上においてかなり中和・癒しの効果をもたらしていると思います。とりあえずこの映画を鵜呑みして自分の子供の友達と恋に走る母親が現れないことを祈ります。 【かんたーた】さん [DVD(字幕)] 7点(2005-04-20 21:14:21) |
2.《ネタバレ》 「ジェーン・バーキンにしかできない映画」という言葉は、一面では正しいし、一面では間違っているようにも思える。この映画を観る時、多くの人がその中にセルジュ・ゲンズブールの影響を読み取るだろう。フレンチロリータの巨匠セルジュ。ジェーン自身も彼に見出されたロリータの一人であり、この映画の着想はセルジュのロリータ(中年男性の少女への愛)が反転されたものであることは容易に想像できる。しかし、そうでありながらもこの作品はセルジュのそれとまったく違うベクトルを持っている。それは、セルジュがロリータを絶対的な女神、自分を受け入れてくれる存在として描いたのに対し、ジェーンが母親としての視線を捨てず、庇護すべき対象として描いた事だ。それは、そのまま相手から自分へ注がれる愛に反映される。ロリータはセルジュを愛するが、そこに理由はない。あえて言えばセルジュの理想を実現させたに過ぎない。少年はジェーンを愛する、しかしそこには打算と性への憧れが隠れている。(エンディングでドライに語る少年の言葉がそれだ。)この映画は徹底したリアリシズムで進行しており(キャストも含めて)、セルジュへのアンチテーゼともとれる結末で終わる。セルジュとは違ったロリータ観を立ち上げたことは理解できるが、それによってセルジュの達した頂へ到達していないことも確かなのだ。これが、ジェーンでなければならず、そうでもないとも言える理由である。ここまで読んで、ドワイヨンの影響を考察せずに何を言う!と思われた方も多いだろう。まったくその通りである。浅学な自分はそこまで到達できていない。この時代のフランス映画はやけに奥が深いなと思う次第である。 【fero】さん 8点(2004-02-20 22:15:48) (良:1票) |
1.ゲーム風になっているオープニング映像が新鮮だった。 【メトロポリタン】さん 8点(2003-03-20 17:41:47) |