57.《ネタバレ》 長い作品それならいっそあるお約束で締めればよかった・・
お話の終わりに実はこうでしたみたいに、
主役のそのあとを5分くらいかけて説明する。
お約束すぎるんですが・・
うまく使うと感動作にもなるんですよ。
わかりやすくなると理解する人が増えるから感情移入しやすくなる。
特にキャラがかぶるディカプリオを使った伝記もので、
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を思い出したけど、
あれもちょっと似てなかったですか?
でもあっちの方が私は好きです。
トラウマを抱える主人公の成功と挫折を伝記もののお約束で締めている。
アビエイターもそうしろとは言わないけれど、
いらない場面も削れたと思うしあとの説明もあったほうがいい。
これではハリウッドの本当に個人的な昔の映画ファンしかわからない。
しかしあいかわらずディカプリオは演技がうまいなぁと感心。
童顔が合ってないと言われていますが、
私はもとのヒューズ氏を知らないのでピンとはきませんし、
ディカプリオ自体が現代風な顔ではないので良いと思いました。
が・・調べると体格が全然違うんですねぇ(苦笑)190cmもあったんですか。
トラウマという扱いはわかりやすいし原因もよく描けていますが、
あまりにひつこすぎるので共感はできませんでした。
そして同じ暗いトラウマ映画でもラストの描き方のていねいさや、
同じ日本人としてわかりやすいということで「砂の器」のほうが断然よい。
逃げても忘れたくてもいつかどこかで忘れたいものは蘇るのです。
それが悪いことに弱いときに現れるんですね。
そのときにそばにいてくれる人がいたらどんなに心強いか・・
どんなになってもそばにいてくれるそんなわがままを他人に求めるのも、
満たされなかった幼少時のトラウマから抜け出せないから。
逆にそれを反骨としてバネにしている人もいる。
でも成功のレベルが大きいほど逃げ込む夢が大きいほど、
失ったときにそばにいてくれる人は少ないはず。
ある意味「市民ケーン」と同じような世界の映画なのですが、
この映画が市民ケーンになりえなかった原因はなんだったのでしょうか・・
ヒューズはキャサリンに母親を父親を求めていたのかもしれない。
そして大きな空をも重ねていたのかもしれません。