1.《ネタバレ》 ネタバレあります。ご注意ください。
エイリアンによる地球侵略を描くSF映画ですが、戦前戦中ではなく戦後の「経済侵略」や「文化浸食」を描くのは珍しいかもしれません。形態は人間の植民地支配と何ら変わりません。エイリアンは見た目こそ違えど内面は人間と同じということでしょう。奴らは「特異な価値観」を有し「コミュニケーション」が可能でした。言葉が理解できる分かえってタチが悪い。言葉が通じない相手なら気持ちを分かってくれなんて思わないのに。
人類が「主権奪回」のために戦った形跡はあるものの長くは続かなかった模様です。それはテクノロジー(戦力)の違いというより植民地支配が成功している証。手法は「アメとムチ」「生かさず殺さず」「同化させる」。その第一歩が「教育」にありました。かつての脳神経外科の権威はエイリアン専用運転手に成り下がり、同居人家族は誇りを捨てました。静かに、ゆっくり、確実に、人類はアイデンティティを奪われてゆく。見た目以上に恐ろしい物語でありました。人類に希望が残されているとすれば、主人公が見せた芸術家としての矜持でしょうか。彼が取った「愚かな選択」の中にこの支配を脱するヒントが隠されていそうです。人類が目覚めるのが先か、はたまた飼い慣らされ家畜に落ちるのが先か。かなり分が悪そうな戦いではありますが。
ところでエイリアンの造形はまるで寄生獣(原作:岩明均)でしたが何かしら影響を受けているのでしょうか?また奴らが人間の言葉を話す仕草が何とも面白い。手の動きはハエがモチーフですか?SFパッケージとしてユニークな装丁であり、独特なテンポを持つブラックコメディとして一見の価値がある映画だと思います。エンタメ的に凄く面白いかというとそんなことはありませんけども(失礼)。最後にタイトルについて。一般的に「見えざる手」とはアダム・スミスの『国富論』に由来する経済用語であり「市場における自由競争が最適な資源配分をもたらす」の意味だそう。あるいは「神の見えざる手」とも。難しい事は分かりませんが「自由な市場競争バンザイ」と捉えて良さそうです。でタイトル『見えざる手のある風景』に戻りますが、これは本編ラストカットをこれまで主人公が描いてきた絵画(奴らが言うところの人間芸術)に見立て、名づけられた表題でありました。要するに皮肉です。この荒廃した世界のどこに自由競争の恩恵があるんだよ。あんな気持ちの悪いお尻フェイスな生き物が「神様」では貧富の差は開くばかりじゃないか。一応体裁はSFですが、本質的には現代のリアルな巨大資本経済の弊害を憂いた風刺映画でありました。