2.《ネタバレ》 ゴヤの画家としての生涯を描く映画ではないとはもちろん思っていたが、ゴヤの眼を通してみるスペインの狂乱や異端審問がメインとは思わなかった。
思いも寄らない内容の映画だったが、傍観者・ゴヤの目や絵を通してみる当時のヨーロッパの狂気が上手く演出されており、インパクトの強い映画に仕上がっている。
ただ、ハマれる人はハマれそうだが、自分にはどこかピンとこなかったというのが正直な感想。
時代背景やゴヤなどの知識を持ち合わせていなかったからだろうか。自分にはレベルが高い映画だったかもしれない。
原題は「Goya's Ghosts」、直訳すれば「ゴヤの幽霊たち」になる。
本作における「幽霊」とは、顔が描かれていない絵の際に触れていたと思う。
本作でゴヤのモデルになったロレンソとイネスは歴史上の存在ではなく、架空の存在のようなので、これを指していることになりそうだ。
しかし、彼らの関係を通して、何をフォアマンは伝えたかったのかが自分にはぴったりとはハマらなかった。
彼らの間に“愛”などというものはもちろん存在しないだろう。
ロレンソはイネスのことを忘れており、その後も病院送りにしている。
イネスにとってもロレンソを愛しているというよりも、彼の存在と自分の子どもを拠り所にして15年間精神をかろうじて保っていたというところだろう。
最後にイネスとロレンソが手を繋いだのは、“愛”というよりも“家族”という想いを込めたためと思われる。
彼らの関係はそれほど重要ではないのかもしれない。
二人の関係よりも、ロレンソが最後に改宗しなかった辺りがポイントとなりそうだ。
異端審問をして、さらにその審問を異端視して、またその異端視を異端されるというエンドレスの抗争が描かれている。
今日にも通じる“宗教”という考え方の違う対立による根深さは永遠に消え去ることのないということを描こうとしているようだ。
これを解決する術はなく、紛争はいつまでも永遠に続くのかというフォアマンの憂いを感じられる。
狂った世界において、ロレンソ自身が処刑される際に窓辺にいる自分の娘と赤ん坊の姿を見て、何かを悟ったようなところが印象的であった。
一番人間らしい心を持っていたのは精神を病んでしまったイネスということなのかもしれない。
ゴヤの作品も理解するのは一筋縄にはいかないが、フォアマン作品も一筋縄ではいかないような独特の仕上りとなっている。