9.《ネタバレ》 意外にまともな映画だった。場所はセルビア共和国の首都ベオグラードで、船が通っていたのはドナウ川と思われる。
過激な映像表現で有名な映画だが、今回見たものは各所にボカシが入っているため見ていられないほどの場面はない。そもそも映画であるからには本当に残酷なことをやってはいないわけで(多分)、例えば人の首を切断する場面でも、本当に人の首を切るわけはない(多分)のでボカシ自体に意味がないともいえる。
また例えばローティーンの少女(ローティーンに見える演者)に手を出す場面は作らないなど、映画製作上の通常の倫理規範は遵守していたように見える。少年の尻はちょっと微妙だが。
ところで以前から疑問に思っていたこととして、セルビアは1990年代の旧ユーゴスラビアの紛争を通じて極悪非道の国という印象づけがされてきたが(※図書紹介「戦争広告代理店」)、その上さらにイメージを落とす極悪非道の映画をわざわざ作るのは何でかということだった。しかし今回見たところではいわば開き直りの態度なのかと思った。
劇中の極悪監督のご高説によると犠牲者が苦しむ姿は売り物になるとのことだったが、これは過去セルビアが関わった紛争における西側メディアの報道姿勢への皮肉ではないか。その時期にダークサイドに落ちた?極悪監督は、開き直って犠牲者を売り物にしたフィルムを売りまくって国の経済を支えるとまで言っていたが、しかし結局は国内他者を犠牲にして自分がのし上がろうとしただけで、金で極悪映像を消費する悪魔のような連中の手先になっていたと取れる。
そもそもこの映画自体がそういう悪魔の手先でないのかと疑うことも可能だが、どちらかといえば「幸せなセルビア人家族」を守ろうとした主人公に寄った立場ではなかったか。Web上の記事など見ているとかえってわからなくなるところもあるが、とりあえず自分としてはそのように思っておく。
その他、ポルノ男優というのはセルビアでも褒められない職業のようだったが、主人公は業務上で自由意思の成人女性だけを相手にし、新生児ポルノを嫌悪していたのでまともな人間だったと思われる。ただし2020年代の西側自由世界の多様性志向が強まっていくと、どんな性的嗜好(※性的指向でなく)もノーマルで正当な存在意義を持つなどという話になりそうで、劇中スタッフを異常者と罵ることもできなくなるかと思うと恐ろしい。とりあえず死体を見るといきなりパンツを下ろす連中は何とかしてもらいたい。