76.「25時」でも出てきた「アメリカにおける人種」の問題。
これは白人監督による場所を替えての(LA)お話だ。スケールも韓国人からペルシャ人までと大きい。
この映画では人々は「人種間の憎悪」を解決するためにすーぐ銃を用いることを考える。
「怖い気に入らない憎たらしい」→「じゃ銃だな」。
「銃」を用意しないサンドラ・ブロックのような人は恐怖と不安でノイローゼになるしかない。
アメリカは白人がネイティブアメリカンを追い出して(殺して)住み着いた国であるのに、そこに自分達より後に別の人種が入ってくると、「俺たちよりいい思いをしなければお前らがここに居ることに目をつぶろう」というレベルから基本的に少しも進歩しないのだ。
これはよその国の自分に関係ない出来事ではない。
留学生を装って日本に出稼ぎにくる中国人、ダンサーだと言って売春する東南アジア人、薬物を売買するイラン人、日本語も話せずブラジルから出稼ぎに来て2~3年で帰ってしまう日系3世。日本の安全を守りにきたはずなのに、現金も持たず(超低収入)街に出てきてナンパをしたり悪さをする基地の米兵。
もちろん普通の無害な外人もいるだろう。しかし、「無害かどうか判断のしにくい」外人に対して、「どうぞ私の家のとなりに家を建ててください。」とか、「私の店のとなりに店を出してください」とか「私の所有するマンションを借りてください」とか「どうぞ私よりたくさん稼いでください」と言える人が何人いますか。
上記の白人と同じでしょう。「俺たちよりいい思いをしなければ目をつぶっていてやるよ。」
これが「人間」の真実の姿だと私は思う。普通の人間はもともとそんなに立派ではないんだ。
この作品を見る限りポール・ハギスの考えもおそらく同じだと思う。
「立派じゃないので、避けないでぶつかれ。触れ合え。避けるともっともっと相手が怖くなるだけだ。」と彼は言いいたいらしい。
「日本ではここまでひどいことは起こらないわ。銃が無いから。」?それでは、福岡の4人殺しとか、ペルー人の女児殺しとか、世田谷一家殺人事件はなぜ起きたのか?
それでも、ポール・ハギスの言うように、「怖がって避けてばかりいないで触れ合え」ますか?
脅かしているようだが普通の日本人もあの検事の妻のように、不安とイライラに苛まれる日は近い。たぶん「銃のあるよその国の出来事」として見るのでは甘い。