6.とても奇妙な映画だった。
「微妙」と「絶妙」の狭間に存在する一線をひたすらに渡らされるような、とても意地悪な映画だったとも言える。
渡りきったその先でしばし立ち尽くしつつ、「ああ、シャマラン映画ってこういうのだったな」と思い出す。
果たして、僕はこの映画が面白かったのか、つまらなかったのか。
それすらも釈然としないまま、寝床に入り、ふと昔を思い出した。
幼いころ、妹と一緒に母方の祖父母の家によく泊まりに行った。
こう言うと、母は気を悪くするだろうが、今思い返してみると、その祖父母の家はとても粗末で随分と古かった。
頻繁に泊まりに行っていたが、それは自分たちが望んで行っていたのか、母の何かしらの都合であずけられていたのか、いまいちよく思い出せない。
小さな家だったが、幼い僕にとっては何だか踏み込みづらい領域がいくつかあって、好奇心と一抹の恐怖感を同時に感じていた記憶がある。
居間の奥の部屋はいつも戸が閉まっていて禁断区域のような雰囲気があった。
祖父が陣取る座椅子の後ろのふすまの中には戦艦のプラモデルが隠してあった。
寝室は古いマットレスが部屋いっぱいに敷かれていて窓がなく一日中暗かった。
トイレは汲み取り式でしょっちゅう腹痛になる僕には殊更苦痛だった。
祖父母は優しくて、好きだった。
たぶん、当時は自分たちが率先して泊まりに行っていたのだろう。
けれど、今記憶に残るあの家に一晩泊まれるかというと、正直きつい。
この映画は、奇怪な言動を見せる祖父母の家に迷い込んだ“ヘンゼルとグレーテル”の一週間を恐怖感たっぷりに描き出しているけれど、真に伝えたい事は彼らの恐怖体験そのものではなくて、姉と弟それぞれが抱えた記憶と精神との葛藤だった。
白く暗い雪の中で織りなされる不安と恐怖の連続。
こうなのかな?と想像した展開が、この監督独特の意地悪なミスリードによってはぐらかされていく。
そして、本当に対面しなければならない事象に知らず知らずのうちに導かれていくのだった。
結局のところ、面白い映画だったのかどうか、よくわからない。
ただし、独特の毒々しい味わいがじわりじわりと脳裏に染み渡ってくる。
作品としての好き嫌いは別にして、M・ナイト・シャマランの映画はこうでないと。