1.やくざの弱さを鶴田浩二が口にしてしまう。女が一緒に逃げましょうと言うのに「俺には、この岩井一家しかない」と言う。やくざというものが、けっきょく家を飛び出して自立できぬ者たちの共同体=偽家であることがよく分かるが、鶴田浩二には女にそんな弱音を吐いてほしくはなかった。それを覚悟して受けとめるから荘重な悲劇になるのであって、『総長賭博』も、家を守ろうとして出す手出す手が次々と家の崩壊を導いていくところに感動があったのだ。でも本作も最終的には運命悲劇の線は守られていて、任侠映画史の到達点シリーズとしての価値はある。海辺を女がフラフラ歩いたりして、ちょっと流れてしまうところもあるが、全体としていい。若山富三郎の役どころが重要で、家の代表でもあり、また世間の噂の代表ということで内在する外界でもある。ラストの血の海の花道は、私はあまり買わない。あくまでリアルな情景で様式美を追求したのが仁侠映画だったはずだ、まあそれだけ仁侠映画がもう熟し切ってそれ以外の表現を必要とするまでになってしまった、ということでもあるのだが。それにしても当時の東映映画俳優陣の厚みは素晴らしいものだった。これ以後彼らは実録路線に合ったもの(文太やピラニア軍団)と合わなかったもの(高倉健や鶴田浩二)にと分離し、他ジャンル映画でも活躍の場を広げていくが、仁侠映画における自在な輝きはもひとつ感じられない。