4.《ネタバレ》 素材自体は悪くないが、ココロに訴えてくるものがまるでない。
したがって、評価は下げたい。
素材はいいので、一流の演出家ならば、もっと泣ける作品に仕上げることはできたはずだ。
何を描きたいのかが明確になっておらず、散漫としているのが残念である。
本作のメインに当たる部分は、何よりも“虚構”の世界ではないだろうか。
「つぐない」の本当の意味を考えると、ここにもっと光を当てないと何も意味はなさないと思う。
もし、自分が脚本家ならば、現実の世界よりも、虚構の世界をメインに組み立てたい。
ロビーが浜辺で眠りについた後は、「ロビーがイギリスに戻り、セシーリアの元に帰ってきて、彼らが再開するシーン」を感動的に描きたいところだ。
「わたしの元に帰ってきて」というのがセシーリアの一番の願いだったからだ。
そして、「彼らが海辺の家で幸せに暮らしているところをブライオニーが訪れ、贖罪を求めた後に、二人に許されるというシーン」をきちんと描きたい。
しかしながら、許された後に、ブライオニーが老人となった“現実”の世界に戻ってしまい、実際の真相・顛末を語るというのが普通に考えられる筋書きではないか。
“現実”の世界よりも、“虚構”の世界こそメインにならなくてはいけない作品だ。
今まで見てきた世界が現実の世界ではなく、ブライオニーの考えた創作の世界だと知れば、観客は驚きを隠せないだろう。
そして、「つぐない」の本当の意味を知るはずだ。
イアン・マキューアンの原作は読んでいないが、そういう趣旨を込めた作品だと思う。
本作では微妙な感じで終わってしまったが、個人的には、“虚構”の世界なのだから、ブライオニーは二人に許されてもよいのではないかと思う。
彼女はつぐなったのわけだから、それは報われてもよいはずだ。
死を目の前にして、二人に許されれば、彼女もきっと安らかに眠れるのではないか。
ただ、“浜辺での長回し”や“窓際で二人がキスをする部分を映しながら、ブライオニーが立ち去る部分を描く”など、映像的な部分においては見応えがあった。
ジョー・ライト監督の前作「プライドと偏見」においても、美しい背景を上手く利用する才能は際立っており、その点だけは評価できる。