17.最後の最後まで言いようの無い緊張感が続く映画だった。
ただしそれは、脱獄によって夫と妻そして幼い息子が逃げおおせるかどうかという作品のイントロダクションに明示されたことに対してではなかった。
それでは、真犯人は誰なのか?というミステリーが描き出されるのかというと、それも無い。
もちろんそれらも上質なサスペンスフルな展開の中できちんと描き出される要素ではある。
しかし、終始もっとも緊張を強いられた焦点、それは、拭いされない「疑心」に対するものだった。
本当に妻は罪を犯していないのか。
心から妻を愛している夫は、あらゆる不利な証拠の中で彼女の無実を信じている。
だが同時に、明確にならない「真相」に対して一抹の不安を感じ続けていることも事実。
むしろ、万が一にも存在するかもしれない“望まない真相”が、導き出されてしまうことを避け続けている節も見え隠れする。
刑務所での面会時、妻の身を心から案じる一方で、少し異様な感じもするほど食い入るような目つきで彼女を見つめる夫の表情からは、無意識レベルで押し隠している疑心と、それに伴う彼の心の混乱と葛藤が絶妙に表れていた。
予告編やイントロダクションのテキストからは、脱獄と逃亡、そこからの真相究明が描かれる娯楽映画だと思っていたが、その想定は大いに覆された。
メインで描かれるだろうと思われていた脱獄シーンが、映画の最終盤にきてようやく始まることが如実に表しているように、この映画は単純な脱獄映画などではない。
脱獄を画策するに至った夫と、無実の罪で投獄された妻、彼らの息子、そしてこの家族と事件に関わる群像における濃密な人間ドラマだったのだ。
観客に対しては「真相」に対して断片的な答えは示されるものの、すべての決着には至らない。
ついにすべてを終えた夫は、果たして「真相」に辿り着けたのか。
映画は、ラッセル・クロウ演じる主人公の微妙な表情を映し出して終える。
そこには、満足感や達成感もあれば、混乱と葛藤がより深まっているようにも見える。
彼の心理の行方こそが、この映画が描き出す最大のサスペンスだったのだと、最後の最後まで続いた緊張感の末に思い知った。