173.《ネタバレ》 この作品の争点は石神が取ったトリックが本当に意味があったのか?と言う点。
まず正当防衛について。遺体の状況からコードで首を絞められている事に娘が荷担していることが明らかなことから
明確な意思がないと難しい犯行に殺意があったと思われても仕方なく正当防衛を主張するのは難しかったと思います。
加えて、親子共に逮捕される事になれば仮に正当防衛が認められても開放されるには数年がかかるでしょう
裁判費用、あらぬ噂により親子は今まで通りの生活を送る事は困難と思います。
また他の犯罪を犯さずとも"現時点"でバレてないじゃないか
シンプルに最初の遺体をバレないように処理した方が早いとの考え方もありますが
確かに犯罪組織のように完全に遺体の出ないやり方があり確実でしょうがそれ言ったら物語になりません。
処理をする特別な環境を持たない一般人が短時間に、かつ自分一人の力で遺体を処理できる方法考えるなら
遺体をバラバラにし海や山に捨て時間稼ぎをするぐらいが落とし所でしょう。
時が流れ遺体が発見された時、腐敗が進んで居れば殺害日や殺害方法は判別できない可能性が高い。
しかし科学捜査から遺体の身元が割れる可能性は否定できず、もし身元が判明すれば
交友関係や行方不明当日前後の行動からいつか、あの親子に捜査の手が忍び寄る可能性は完全に否定出来ない。
そうなれば意思が弱く自供するかもしれない、それではあの親子を守る事ができない。
だからこそ石神は、あえて新たな殺人を犯し"最初から"自分が出頭する事で完全にあの親子を守る策を練ったって事です。
つまり親子には一定期間捜査追及から逃れるだけのアリバイを与え、その間に自分は計画通りに出頭して
罪を認め裁判の一審で上告せず罪を受け入れ一事不再理により、あの事件で親子が法で裁かれる
可能性を完全に無くす事ができる。一度死んだも同然の命。残りの命をあの親子の為に捧げる決意の犯行。
つまり最初の段階でどうにか隠せば逃げ切れる可能性が高かったねって話では無く
犯罪から逃げ切れる可能性の追及よりも、自ら罪をかぶり親子を完全に守ろうとする話なんです。
ただ、そこに湯川や花岡親子の心など微妙なバランスの上にしか成り立たないこのシナリオは最後に崩壊を迎える。
それがこの物語の大筋ではないでしょうか。
石神はなぜ人生に絶望していたか、それは具体的には語られて居ませんが華々しい活躍をする湯川とは対照に
好きだからやっていた数学とは言え有り余る才能を受け止められる受け皿はなく
誰にも才能を評価されず、誰も彼の本当に語りたい事に耳を傾けない環境は
孤独と絶望の灰色の世界で生きていたのだろうと容易に想像する事ができます。
人との繋がりが無い世界は自分の存在価値を消し去る理由になり得るでしょう。
そんな中、隣に引っ越して来てくれた親子が自分に少しだけ接してくれた。
弁当を買うとき不器用な自分に声をかけてくれる、屈託のない生活の物音が
それまで孤独で灰色だった世界に、ほんの少しの色を与えてくれた。
もちろん親子は石神に普通に接しただけで特別な事は何もしていない。だが、その事が生きる上でどれほど大きいことか…
そんな僅かな色を与えてくれた環境が、殺人により終わりを迎える事が解った時
せめて、この親子だけは色を失わずに居て欲しくて、自ら捕まる事で
自分一人が、また色のない環境に彼は戻って行く決意をしたのでしょう。
留置所の天井の傷やシミで四色問題を解くシーンは秀逸です。
もう親子と会うことは許されず、また色のない世界で孤独に色を付ける作業だったのではないでしょうか。
湯川は冒頭で愛などと言う非論理的な物は誰にも解けない。考えるだけ時間の無駄だと。
石神と再会した時、若々しさを羨ましがる彼は「恋をしている」そう導いたが求める答えにはほど遠い。
本来、犯罪動機に興味のない湯川が始めてそれに向き合い苦悩する。雪山で事件について石神に迫った時
「本当は最後まで証明できていないんじゃないか?」と問われ答えられない湯川。
後日、取調室で雪山で出来なかった話の続きを始めるが
「なぜそこまでして彼女を守る…」と問いかける湯川に石神は答えずドアを閉めて出て行く。
学者である湯川には非論理的難問を最後まで解くことが出来なかったように思える。
そして、それは石神もまた同じ。完璧だと思った計画は花岡の心によって破綻する…。
「石神は罪を犯してしまうほど深く人を愛せた」と語る湯川に内海は「石神は花岡靖子に生かされていた」とそっと呟く。
それを聞いた湯川の表情は、ようやく真の答えに一歩迫る事が出来たように思えた…。